銚子その2(鹿島神宮・香取神宮)
銚子滞在の2日目、鹿島神宮と香取神宮に向かいました。しかしながら、天候が最悪。雨だけならまだいいのですが、風が強く、Nikkon Z6でも撮影がままならない状況で、向かいました。一応、カメラ用の透明な防水カバーは持っていたものの、傘を差しながらの撮影は難儀なのと、そもそも傘が飛ばされそうな風の強さで、傘をささないと、びしょびしょという最悪のコンディションでした。それでも幸い、電車は止まっていなかったので、銚子駅から成田線で香取駅まで乗り、鹿島線に乗り換えて、まずは鹿島神宮まで行きました。当初は、香取駅に着いたら、まずは香取神宮に行く計画だったのですが、香取駅から香取神宮までは交通手段がなく、徒歩で30分くらい掛るので、さすがに雨と風の中を歩くのは無理と判断しました。乗り換え時間も含めて、1時間程度で、鹿島駅に到着しました。鹿島神宮にも歩いて行く必要がありますが、10分程度で大鳥居前に到着しました。雨降りにもかかわらず、結構たくさんの方々が傘を差しながら、参拝に来ていました。ただ、境内の参道はすでに雨で、水たまりが出来て、ぬかるんでいるところもあったので、すべらないように気を付けて歩きました。




大鳥居を抜けると、手水舎があり、朱塗りの楼門があります。楼門を抜けて、すぐのところの右側に本殿があります。本殿の前には拝殿があったので、お賽銭を入れて、二礼二拍手一礼しました。拝殿の背後にある本殿のさらに背後にある大杉の巨木が御神木です。鹿島神宮は、武甕槌神(たけみかずちのかみ)が御祭神です。武甕槌神は、出雲の大国主神の次男である建御名方神(たけになかたのかみ)と戦って勝ったことから、大国主神が国譲りした記紀の話で知られている武勇の神です。その後、建御名方神は諏訪に逃れて、諏訪大社の上社本宮の御祭神になったとされていることは、松本・諏訪その2(諏訪大社)で書きました。


実は私が見たかった物は、本殿よりもさらに奥に、周りを大杉の巨木で囲まれてすでに地面ぐちゃぐちゃになった奥参道を、しばらく歩いたところにある奥宮のところを、さらに右に歩いていったところにありました。「要石」です。新海誠の映画「すずめの戸締まり」で出てきた「要石」の基になったのが、鹿島神宮と香取神宮の要石だそうです。近くにあった「由緒書き」によれば、これは神様が座した、まさに「磐座」で、地震を抑えるための要石、いわゆる結界に相当するものでした。水戸黄門様が掘り返そうとしたが、地下に延々と続く巨石だったと書かれています。ただ、石の玉垣で囲まれた中心に要石があるということで、覗いてみたのですが、紙垂(しで)の掛ったご神木?がやたらと目立っていて、写真を撮った時には要石の存在がわかりませんでした。後で写真をよく見てみたら、水たまりの真ん中辺りに埋もれた要石を見つけました。





要石があるという玉垣にも行ったことから、奥参道を戻っていく途中、「御手洗」(みたらし)という不思議な池と、その池の中にある鳥居に乗っかかったご神木の巨木を見て、さらに歩いて行くと、右側に動物がいるので近づいて見たら、子鹿が広い囲いの中で飼われていました。近くにあった説明文によれば、藤原氏が氏神とする鹿島神宮の武甕槌神の分霊を奈良の春日大社にお迎えして創建する際に、そのお使いを務めたのが、鹿の神霊である天迦久神(あまのかくのかみ)であると書かれています。奈良の鹿は鹿島神宮に由来していました。




可愛い子鹿を見ることもできたので、鹿島神宮を後にして、次は香取神宮に向かいました。とはいうものの、来た線路を戻らなければなりません。さらには雨と風で、香取神宮前で降りて歩くのは無理と判断して、香取神宮の先にある佐原駅でタクシーに乗り、香取神宮まで向かいました。距離は3キロ程度?ですので、タクシーならたいした距離ではありません。途中、なぜか一ノ鳥居が一般道に掛っていたのですが、香取神宮よりもかなり離れた場所にありました。もともとこの辺は、広大な霞ヶ浦があり、一の鳥居の辺りまで水辺があったのではないかと推測しました。ちなみに、いまある利根川は、徳川家康の治水により形成されたことを知りました。
タクシーを参道入口で降りて、お店が連なる参道商店街を歩いて、朱色の二ノ鳥居?に向かいました。悪天候のせいか、ウイークディのせいか、はたまた閉店しているのか、お店はほとんど開いていませんでした。朱色の鳥居をくぐるとすぐのところに、「要石」の矢印があったので、そちらの方に歩いて行くと、石の急な階段があり、その先に護国神社の鳥居があり、その先に石の玉垣で囲まれた要石がありました。こちらの要石は漆黒のいかにも磐座と思えるような立派な要石でした。こちらにも簡単な由緒書きがありましたが、「鹿島神宮の要石とともに、地震(大ナマズ)を抑え込むため、地中深く石棒を差し込んで、大ナマズの頭と尾を押さえ込んでいる。香取は凸形、鹿島は凹形である」と書かれていました。たしかに鹿島神宮の要石は、凹形なので見つけずらかったようです。結界としての磐座、そして自然災害との関わりを象徴している要石でした。




また、参道に戻り、三ノ鳥居?、そしていずれも朱色の総門、手水舎、楼門も経て、本殿まで進み、二礼二拍手一礼しました。ちなみに、「二拝二拍手一拝」とあえて書かないのは、すでに「神道と神社本庁」で説明しました。香取神宮の御祭神は、経津主神(ふつぬしのかみ)で、出雲の国譲りの際に、武甕槌神とともに、大業を果たされた神として祀られています。現在、「神宮」と名の付く神社は、鹿島神宮、香取神宮、そして伊勢神宮です。天照大御神の流れを汲む、いわゆる大和朝廷に貢献した特別な位置づけにあるとして、大和朝廷が、この2つの神社を伊勢神宮と同格に格上げしたのでしょう。ちなみに、出雲にあるのは、「出雲大社」です。一つ面白い話が書かれたパネルがありました。実は、武甕槌神と経津主神はあまり仲が良くなかったのかどうか、香取神社側としては、経津主神の方が武甕槌神より貢献したということを強調したいのかどうか、興味がある方は、右下のパネルを読んでみてください。




これで私が気になっていた神社は伊勢神宮以外、一通り見て廻ることができました。見てきた神社はすべてどこかで繋がっていました。そして、そもそもの神社の成り立ちも、少しだけ知ることができました。特に神社に興味があったわけではありません。むしろ興味があったのは、「磐座」です。そして、鹿島神宮と香取神宮にある要石も「磐座」でした。すると、これら要石は、天照大御神の分身である鏡を祀る鹿島神宮と香取神宮の本殿よりも、古くから存在していたことは容易に想像できます。それは、神武天皇が即位するよりもはるか昔のことになり、縄文時代に繋がるものであると、私は確信しました。
香取神宮を後にして、幸い雨も小降りになっていたので、30分ほど歩いて香取駅に行き、そこから、電車で銚子まで戻りました。それでも、まだ午後1時過ぎだったので、どこかで昼食を取ろうと銚子駅付近を歩き出したら、また大雨と強い風が吹いてきて、たいへんな思いをして昼食を食べ、その後はびしょびしょになったので、ホテルまで戻ることにしました。明日、犬吠埼灯台の方に行こうと思っていたのですが、さらに強い風の予報で、どうなることやらと翌日になり、なんとか行くことができましたので、それについては、また書きます。
