遺伝子と記紀
これまでに、出雲と宮崎に調査研究に行って、貴重な情報をいくつも入手することができました。行くに際して事前に、村井先生や千田先生の著書なども読ませていただき、参考にしました。調査研究といっても、これらの専門家の真似をするつもりはなく、しようと思っても知識の集積度が桁違いですから、太刀打ちできるはずもありません。古事記や日本書紀など記紀に書かれていることの解釈は、いろんな専門家や研究者がすでにされており、たくさんの書籍も出されています。私もこれまでに、結構な数の本を読ませていただき、その都度、書かれた内容には、なるほどと納得しながらも、どうしても腑に落ちないのは、みなさん、書かれている主張が違うことです。以前も書きましたが、天文学のごとく、立証することが不可能な分野の研究は、いろんな主張が出てくるのでしょう。私も科学者の端くれとして、これまで解は一つの世界で生きてきましたので、どうしても、文化の違いに戸惑います。
でも、考古学の分野では最近、縄文遺跡がたくさん発掘されてきて、そこから出土した土器や土偶は紛れもなくエビデンスになります。それに加えて、否定のできないエビデンスとして、遺伝子の分布があります。これまでにも、すでに何度も書きましたが、日本人のルーツである縄文人のY染色体ハプログループは、D1a2aで世界で唯一無二の分類になります。文系の先生方が書かれた書籍は概して、記紀や古書を中心にその内容を独自の視点で解釈していますが、これらエビデンスと絡めた議論はまだまだ不足しているように、私は思っています。そんな中で、出会った一つのエビデンスとして、東京大学の研究グループが発表した論文が私はどうしても気になっていて、それが調査研究してみたいと思ったきっかけの一つでした。その分析結果の図をまた借用しますが、これを見て、何かにお気づきになりませんか?

東北地方に縄文人由来の遺伝子の名残が多く残っているのは当然として、他に特異な場所として、まさに島根・鳥取と鹿児島が上げられます。島根といえば、出雲であり、鹿児島は天孫降臨した高千穂と密接に関係しています。はたして、これらの地域にはどうして、縄文人由来の遺伝子の影響が残っているのか? それらについて、解説している書籍はあいにくありません。一方で白い部分は、渡来系の人たちの遺伝子の影響が大きいのでしょう。あくまで、この色の差は僅差ですから、たまたまの可能性も捨てきれませんが、みなさんはこの分布をみて、何を想像されますか? 私が想像したのは、東北地方に暮らしていた縄文人が、海を渡って、島根・鳥取や鹿児島に移動したのではないかということでした。その逆は、東北地方の分布の広さや、これまで伝えられている、それこそ記紀に書かれた内容から判断して、考えにくいでしょう。
どうしても、エビデンスに基づいて物事を考える癖のある私には、この遺伝子分布に沿って、記紀に書かれている内容も解釈してしまいます。たぶん、渡来系の人たちが来るようになった以前は、日本列島全体が縄文人の遺伝子で占められていたのでしょう。出雲の大国主神が国譲りした古事記の物語も、この遺伝子分布から再解釈できるのではないかと思っています。また、邇邇藝命の天孫降臨した場所が、今の鹿児島県なのか宮崎県なのかはとりあえず置いといて、7300年前の鬼界カルデラの大噴火の影響を考慮すれば、鹿児島の遺伝子分布が示唆しているのは、その噴火後に改めて住み着いた縄文人である可能性があると解釈できます。そのような素朴な疑問から、探求してみたいと純粋に思い始めました。
今週は、神倭伊波礼毘古命が東征して大和を建国したとされる橿原ならびにその後に遷都した飛鳥へ行って調査研究していました。これについては、これから書いてまとめます。
