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宮崎その3(鬼界カルデラ他)

 宮崎3日目は、まずホテルから2キロちょっと離れた場所にある宮崎神宮に、歩いて向かいました。宮崎のメインストリートと思われる橘通りを北側にずーと歩いて行ったら、宮崎神宮に繋がる参道(道路)が斜め左側にあり、その入口に一の鳥居が立っていました。さらに500メートルほど行ったところに、二の鳥居がありました。それをくぐって参道に入ると、参拝者もおらず、なんか厳かな雰囲気の参道で、そこを歩くと先に三の鳥居があり、くぐると手水舎があったので、手を清水で清めてから、さらに歩くと神門があり、その先に外拝殿がありました。一般の参拝者はそこで礼拝することになっていたので、お賽銭を入れて、二拝二拍手一拝しました。宮崎神宮の主祭神は神武天皇です。45歳までこの地で過ごし、その後に大和に東遷したと宮崎神宮のホームページには書かれていました。

 宮崎神宮の本殿裏側の近くに、宮崎県総合博物館があります。実は、今回宮崎に調査研究で来た一番の目的は、そこに見たいものがあるので見学することでした。入場料は無料でした。

 さっそく、館内を探して歩いて見つけたのが、地層断面です。約9万年前から現在までの地層断面が展示されていました。特にそこに年代が示された層では、大規模な火山噴火による火山灰の堆積層があり、古い方から、約9万年前の阿蘇山の噴火、約4万5千年前の霧島山の噴火、約2万8千年前の姶良(あいら)で起きた大噴火による火山灰の堆積層が見つかっています。ちなみに、姶良の大噴火では姶良カルデラが形成されました。そして7300年前に鹿児島沖で起きた海底火山の大噴火による鬼界アカホヤと呼ばれる火山灰の堆積層。その後に鬼界カルデラが形成されました。

 鬼界カルデラを形成した7300年前の大噴火では、九州に住んでいた縄文人が壊滅してしまったとされています。そのような大規模噴火が、約2万8千年前の姶良火山でも起きて火山灰が広範囲に降灰しており、さらに過去には同じ様な大噴火が何度も起きていることを展示パネルから知りました。桜島がある鹿児島湾は姶良カルデラ跡であることも知りました。大噴火の前後で縄文人が暮らしていた跡が地層断面でも見つかっていました。

 7300年前の大噴火以前から九州に住んでいた縄文人は、どのような生活をしていたのかが、私の最も興味のあるところで、その証拠が見つかっているか館内を見渡していたところ、見つかった土器がたくさん展示されていました。古い物では、1万2千年前の豆粒文土器(とうりゅうもんどき)と呼ばれる物の破片が見つかっているようです。当時は、カゴや皮袋なと粘土以外の素材で造られた物を模擬して作られているので、形の変化に富んでいると説明パネルに書かれていました。器はすべて実用的な形をしていますが、1万年以上前に作られた器としては、かなり完成度が高かったことが想像され、高度な文明を持っていた縄文人が暮らしていたことがうかがわれます。アカホヤ火山灰は宮崎県内でも30cm前後堆積していたようで、その当時のものと思われる土器も展示されていました。背景にある想像画からその悲惨さが伝わってきます。

 7300年前の大噴火の後、住んでいた縄文人は全滅したか、他に移動したかと思っていましたが、はたしてそこを生き延びた縄文人が、天孫降臨した瓊瓊杵尊に繋がっているのか否かと考えれば、やはり無理な発想かと思いました。瓊瓊杵尊を比定する人たちは他からやって来たと考えるのが、素直な発想かと思います。

 宮崎県総合博物館を訪れて、見たい物を見たので、調査研究の目的は果たしたのですが、まだ午前中だったこともあり、さてどうしようかと考えながら、宮崎駅の方に帰って行きました。駅に到着して、ちょうど、お昼だったので、駅ビルの中に入っているお店で、チキン南蛮定食(宮崎の定番のよう)を食べてから、ふと海岸付近をJRが通っているのを見つけて、北にある日向市駅まで乗ることを思い立ち、JR日豊本線の普通電車にふらっと乗り込みました。Googleマップを見ながら、そろそろ海岸が見えると思って見ていたのですが、いつまで経っても海岸が見えません。川の河川敷辺りでチラ見はできるものの、気が付いたのは、海岸と線路の間に樹木がモウモウと生えていて、それが延々と続いていました。がっかりモードで日向市駅に到着しました。

 さて、どうしようかとマップを見ていたら、少し離れた海岸近くに大御神社(おおみじんじゃ)があるようなので、そちらに行こうと思い立ち、観光案内所で行く方法を聞いたところ、徒歩では40分以上掛ると言われました。同時に、幸い隣でレンタサイクルが借りられることを知ったので、電動アシスト付の自転車を3時間1000円で借りて、向かったところ、自転車で20分もかからず到着しました。伊勢ヶ浜に隣接する柱状岩上に社殿がありました。大御神社の祭神は天照大御神で、日向のお伊勢さまと呼ばれているそうです。その謂れについては省略しますが、興味のある方はネットで調べてみてください。社殿の造りが何処となく伊勢神宮に似ているような、浜の名前もこの神社に由来しているのでしょう。同じ境内には、しめ縄が掛った大きなさざれ石がありました。神座(かみくら)として祀られているようで、いわゆる磐座(いわくら)と同じ意味合いの巨石です。

 さてさて、宮崎の神社は海岸沿いに多く位置しているのを知ることができて、良い収穫になったと思いながら、それでは駅に帰ろうかと時間を見たら、まだ余裕があり、自転車を借りてまだ1時間も経っていなかったことから、もう少し周りの見てみようかと思って、Googleマップを見たら、「馬の背」という場所が、伊勢ヶ浜のさらに先の半島先端の海岸沿いにあるのを見つけました。たしかガイドブックにもあったことを思い出し、何を思ったか、発作的にそこまで「自転車」で行ってみようかと思う間もなく、自転車をこぎ始めてしまいました。後はもう目的地までひたすら向かうことになったのですが、どうみても、自転車で走るような場所ではない、アップダウンが急な海岸沿いの山道を、電動アシストでも段々息を切らしながら走って、やはり止めて戻ろうかと二度ほど思ったのですが、30分くらい?走ったらその場所に到着しました。

 駐輪場がないので、駐車場の隅に自転車を止めていたところ、たまたま車で来ていたおばさんの声が聞こえて、「自転車でここまで来れるの?」とたぶん旦那さんに聞いていたようですが、旦那さんは、「アシストだよ」とか答えていて、少し場違いなところに来てしまったと思いながら、馬の背を見ようと向かったら、なんと、入口とあるところから急な下りの階段をさらに歩かなければならないのがわかりました。すでに足がガタつき始めていたので、行きはいいとして、はたして帰りにこの階段を上れるのか、段々不安になりながら、でもここまで来て戻るわけにもいかないので、10分くらい歩いたら、その場所がありました。床がガラス張りの展望台があり、足がすくみそうになりながら、撮った写真です。でも、これを撮るためにわざわざここまで来たのかと、少し後悔しながら、来た道をなんとか戻って駅まで辿り付きましたが、結構疲れ果てていました。

 日向市駅からは電車で帰ったのですが、適当な時間の普通電車がなかったので、たまたま次に来る特急ひゅうがの乗車券と特急券を買って、宮崎駅まで乗車しました。来た時に宮崎空港のJR駅で見た、ゴッツい顔の特急です。でも車両内は顔とは裏腹に特急らしく洗練されていました。

 今回の宮崎は、旧友の協力も得て、たいへん充実した調査研究になりました.帰りの飛行機も何事もなく、無事帰仙しました。次は奈良の橿原に行って調査研究する予定です。