トラベル巨石文明日記縄文文明

宮崎その2(神社と地形)

 朝9時に旧友の車でまず向かったのは、青島神社です。宮崎でも有名なのか、ドーミーインの観光案内の最初に書いてありました。ところが、出雲の3日目を思い出させるような、朝から雨と風がすごくて、私は晴れ男だと思っていたのが、どうも違うのかと思いながら、20分?くらいで到着しました。ただ、青島神社は、海岸から長い橋で繋がった先にある小島の中にあり、車で行くことはできないので、傘を差して向かったのですが、傘が吹き飛ばされそうになり、そんな中でも写真を撮ろうと思って、撮ったのですが、いずれも難儀で、結局は出直すことにして、ここから示す写真は、この日最後にもう一度訪れて撮ったものです。その時は、雨も止み、青空も出てきて良い眺めの写真が撮れました。

 青島神社はJR日南線の青島駅から歩いて10分くらいのところにあり、当初は電車で向かうことを計画していたのですが、幸い旧友の車で訪れることができました。たぶん、電車だったら、雨と風で見学を諦めてしまい時間的に再訪もできなかったと思います。海岸から橋を歩いて行くとその先に小さな小島があります。橋を渡っていると目に付いたのは、両岸にある千畳敷状の海岸です。橋を渡った先にはその説明看板がありました。それには、今から約650万年前(新第三紀)に海底に規則的に堆積した砂岩と泥岩の互層が傾き、海上に露出したと書かれており、俗称「鬼の洗濯岩」と言われているとのこと。砂岩と泥岩の層が、それこそミルフィーユの様に本当にほぼ均等厚さで真っ直ぐ連なっているのを見て、フィリピンプレートに押された海岸側の地形が沈み込んで、斜めになったところが浸食したものと理解しました。大陸のメカニズムが視覚的にわかる貴重な場所です。

 神社に着く前にもっと驚いたことが二つあります。旧友に教えられたのですが、まず鬼の洗濯岩のある場所に近づいてみたところ、表面に奇妙な模様が付いているのがわかりました。乾燥してひび割れただけではこうはならないように思われ、ついつい理系思考が働いてしまい、ベナール対流でできる六角形模様を想像してしまいました。ただ、今回はそれを解明するのが目的ではありませんので、興味のある方は自分で調べてみてください。

 もう一つ、島の周りにある砂浜と思われるところは、すべて貝殻の欠片であることも知りました。貝殻がこれだけ細かくなるのには、どれくらいの年月が経つものか、悠久の時を感じながら歩いていたら、鳥居のところまで来ました。海岸の傍にある不思議な配置の鳥居です。

 鳥居をくぐった先に、青島神社の社殿があります。ここには、火遠理命(ホオリノミコト)、豊玉毘売命(豊玉姫、トヨタマヒメ)、塩椎神(シオツチノカミ)が祀られているそうです。火遠理命は山幸彦(ヤマサチヒコ)で知られていますが、邇邇藝命(ニニギノミコト)と木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)の間に生まれた三男で、後に神武天皇になる神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)の祖父に当たります。山幸彦と兄である火照命(ホデリノミコト)こと海幸彦(ウミサチヒコ)との話が記紀には書かれています。また、山幸彦と豊玉姫の話は、浦島太郎の昔話の元にもなっています。この辺の話は記紀の中でも一番面白いところですが、他にもたくさん書かれていますので、そちらに譲ります。その中で、塩椎神がふたりの出会いを導いたとされていますが、塩椎神は記紀のいろんな場面に登場して重要な役割を担っています。その塩椎神を祀る総本宮は、宮城県にある塩竈神社でした。塩竈神社の由来に改めて興味を持ち始めました。

 さて、次に向かったのは、鵜戸神宮(うどじんぐう)です。車での移動なのでどれくらい掛ったかがイマイチなのですが、2,30分くらい? ちなみに、こちらに行ける電車はありません。路線バスはあるようですが、本数が少ないので、車の移動でなければ、私が行くこともありませんでした。鵜戸神社は海岸の断崖にある極めて珍しい神社です。神門、楼門と呼ばれる赤い門をくぐって行くと、その先に断崖に造られた長い下りの石段があります。そしてその先に鳥居が見えます。見た目がインスタ映えしそうなところで、外国人観光客もたくさんいました。

 主祭神は、鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)で、神武天皇の父であり、青島神社に祀られていた山幸彦と豊玉姫の御子に当たります。本殿は、断崖に造られた石段を下って行った先にある鳥居をくぐった奥の洞窟の中にありました。本殿の謂れについては説明パネルがありましたので、そちらに譲ります。本殿のさらに裏の方には、豊玉姫が鵜葺草葺不合命の育児のため、お乳をくっつけたとされる「おちち岩」というご神窟があり、そこからは岩淸水がしたたり落ちていることから、安産・育児に御利益があるそうです。

 本殿がある洞窟から外に出て、海岸側を見ると、断崖の下の方には、豊玉姫が出産のために乗って来られたと謂われる霊石亀石(れいせきかめいし)と呼ばれている岩があり、そこに運玉と呼ばれる小さな石を投げ入れると御利益が叶うということで、その運玉が売っていました。ただ、私は遠慮しました。それにしても、海岸には荒々しい岸壁や、巨石がごろごろしていて、「神大石」と呼ばれるしめ縄の掛った巨石もありました。青島神社も鵜戸神宮も、自然の地形と密接に関係しているのはたしかなようで、どのような経緯でそうなったのか、想像が膨らみました。

 鵜戸神宮を後にして、他にも,植物園や飫肥城跡(おびじょうあと)など車で案内してもらいましたが、ここでの話には直接関係ないので、省略します。日向灘の海岸沿いをドライブしながら、晴れた日ならば、さぞかし眺めがいいだろうと思いながら、最後に夕食をご馳走になり、旧友には宮城の地酒をお土産に差し上げて、また来るかもしれないと言い、別れました。翌日は、宮崎神宮と宮崎県総合博物館などに1人で訪れましたが、それについては、また次回書きます。

 最後に一枚、記紀に登場する神々の系図が良く分かるパネルがありましたので、切り取って載せておきます。