松本・諏訪その3(茅野・尖石遺跡他)
上社前宮から、炎天下のもと、2.5kmを40分程掛けて歩いたところ、12時前に茅野駅に到着しました。幸い、熱中症らしき症状は出ていません。12:20発のメルヘン街道バスに乗って、茅野市尖石縄文考古館まで向かいます。お昼を食べたいところですが、時間的余裕がありませんので、コンビニでおにぎりを2個買って食べました。バス停でバスを待っていたところ、ボンネットタイプのレトロなバスが止まりました。これが、メルヘン街道バスでした。終点は、茅野市尖石縄文考古館よりもさらに先の山奥?のようでしたが、そんなに時間もかからず、茅野市尖石縄文考古館に到着しました。料金は590円でした。地元の人には有名なのでしょうが、東北人にはあまり知られていない縄文遺跡がこの周辺にはたくさん見付かっており、その代表が尖石遺跡(とがりいしいせき)です。縄文時代の中期(約5000年前)頃の遺跡で、時期的には三内丸山遺跡と同じくらいですが、むしろこの辺りの長野から関東一帯の方が、北東北よりも縄文人がたくさん暮らしていたようです。
入館料600円を支払って、中を見て歩きました。事前情報で、ここには国宝になっている縄文土偶が2つ展示されているようなので、まずはそちらを見てみました。一つは、「縄文のビーナス」と名付けられた土偶です。それにしても、いつ見ても、ユニークな形をしています。でも、遮光器土偶と比較しても、人を模しているのはわかります。女性で、妊婦なのか、下半身がどっしりしていますが、遮光器土偶もそうですが、足はぶっとくて、いくら縄文人は足が太かったとしても、かなり誇張されているはずです。いろいろ見てきて、気が付いたのは、しっかりと立たせるためには下半身をこのように造らないといけないだろうということと、もう一つは、大地を踏みしめるという意味合いのあるのでしょう。それには、大地が暴れないように結界のような意味があるとか、いろいろ想像します。頭には何かを巻いているように見えます。戸矢さんの著書にも書かれていたのですが、縄文のビーナスが女性を象徴する土偶であるのに対して、男性を象徴する石棒がたくさん発掘されていたようです。これは言うまでもなく、男性器を模したものですが、ほとんどが盗難などでなくなってしまったようです。盗んで、家にでも飾っているのでしょうか。縄文のビーナスといい、石棒といい、これらは生命誕生に深く関わっていることは間違いありません。



もう一つは、「仮面の女神」と名付けられた土偶です。下半身は縄文のビーナスと同じく、どっしりしていて、女神ということですから、女性なのでしょう。体には模様が付いています。一方、顔は異質です。逆三角形になった顔は、他の土偶などでも見られますが、目と思われる部分はつり上がっています。そのまま解釈すれば、怒っている表情に見えます。ただし、仮面の女神ということですから、何か仮面を被っていると解釈されているようです。たしかに遮光器土偶の遮光器も、元々は光りを遮るためにサングラスのようなものですから、たとえば、冬の積雪や太陽などを直視してもいいように被っているのか、こちらもいろいろ想像してしまう土偶です。



縄文のビーナスも仮面の女神も、いずれも実物が展示されていました。これまで見た国宝になった土偶は、山形の西ノ前遺跡で出土した縄文の女神と、八戸の風張1遺跡で出土した合掌土偶で、これらも実物でした。あとは、北海道の著保内野遺跡で出土した中空土偶のみとなりました。ただ、こちらは場所的に見に行くのがちょっと大変そうです。縄文のビーナスと仮面の女神と縄文の女神。名前が一緒にならないように調整でもしたのでしょうか? 組み合わせとしては、仮面のビーナスがまだ残っています。
次に目に付いたのは、小さな土偶の数々です。それも、欠片のようになって出土した様々な小さな土偶です。これを見て、橿原遺跡で見た土偶と同じであると瞬時に思いました。説明によれば、接合する欠片は一つもないとのことです。これより想像されるのは、体の一部を模した状態で造ったか、接合する欠片は他の縄文遺跡に運ばれたか、いずれではないかと想像しました。何かしら祭祀や呪術などの儀式的な意味合いが込められていることは間違いなさそうです。それから、橿原遺跡で同じような欠片が出土していますが、年代が全然違います。橿原遺跡が高々2000年前であるのに対して、諏訪は約5000年も前のものです。少なくとも言えるのは、仮に同様な文化か信仰があったとして、諏訪の方がはるか昔であったということです。古事記の記載では、建御名方神が諏訪に飛ばされたとありますが、本当は建御名方神の起源は元々諏訪にあったのではないかと想像します。


さて、土偶以外でたくさん展示されていたのは、ユニークな模様が付けられた様々な土器でした。ユニークな飾りや模様と言えば、火焔型土器ですが、飾りは火焔型土器ほどではありませんが、模様ががとにかくユニークで、さらに私的に見れば、シュールなデザインに見えます。とても全部は紹介しきれないのですが、大きな土器を3つほど。







ここで、もう一つ気が付いたのは、これまでにいくつかの縄文土器を見てきて、ほぼすべてに何かしらの模様が施されているところです。その中でも、茅野周辺で発掘された土器の模様は極めて細かく緻密に付けられています。これらが、縄文時代中期の約5000年前のものであるということ自体が驚きです。さらに気が付いたのは、紹介した3つの土器のうち、上四隅が角張った深鉢型土器は、宮崎県総合博物館で見た鬼界カルデラ噴火前に暮らしていた縄文人が約10000年前に造ったとされる、貝殻文の角筒形土器とそっくりです。この一致は何を意味しているのか、たまたま似ていただけでしょうか? 素直に解釈すれば、縄文時代中期である約5000年前よりもさらに昔から、日本列島に住んでいた縄文人はお互いに交流していたのだろうということです。
諏訪湖周辺に縄文人が住み着いたのは、当然、水があったのが理由かと思いますが、もう一つ、近くにある霧ヶ峰からは良質な黒曜石が取れ、それを狩猟などの道具として使っていました。ちなみに、諏訪湖は現在よりも南の方に広く広がっていたようで、諏訪大社の上社が位置しているところは、まさに元々は諏訪湖畔だったようです。湖があり、黒曜石も取れて、縄文人が生活するのには恵まれた場所だったのでしょう。そこがたとえ、大地の神が時々暴れる場所だったとしてもです。縄文中期に栄えた茅野周辺の縄文集落ですが、約4300年前辺りから始まる寒冷化の影響で、縄文晩期には人口が急激に減少していったようです。


茅野市尖石縄文考古館を見終わって、メルヘン街道バスに乗って茅野駅まで戻り、電車で松本まで帰りました。
話が長くなりますが、3日目は、午前中に安曇野をレンタサイクルで走りました。安曇野という地名はこれまでにもよく聞いていた地名で、特に最近YouTubeで、安曇野のわさび農園にある水車が回る清流の動画を見て、行って見てみたいと思っていました。松本駅から、JR大糸線で穂高駅まで乗って、穂高駅の近くにあるレンタサイクル屋で電動アシストを借りようと思って向かったところ、何と外国人観光客の行列が出来ていました。みなさん、ここで自転車を借りて、私と同じく、わさび農園に向かうようです。レンタサイクル屋も忙しくて、身分証明書なども確認せずに、信用貸しとか言いながら、1台の電動アシストを貸してくれました。1時間300円と良心的な値段でした。よく知られているわさび農園は、「大王わさび農場」という農場で、それほど時間も掛らず到着しました。やはり、人気の観光地なのか、たくさんの特に若い観光客で混雑していました。農場内は入場無料で結構広い農場です。早速、水車を見ようと、入場したら、すぐのところにありました。
きれいな清流が流れているところはYouTubeで見たのと同じでした。ところが、ん? 水車が回っていない。なんか、最近回っていないくらい、古びて見える。え? ということで、イメージ先行で実物を見ると、イメージが崩れる典型だったかもしれません。重ねて、猛暑が低思考に拍車を掛けたのかもしれません。見ない方がよかったかもと思いつつ、でも、水は済んでいてとても綺麗でした。そして、わさびをこうして育てるのだというのもわかりました。観光客のみなさんは暑いこともあり、わさびアイス?をみんな食べていましたが、私はアイスを食べるとお腹を壊すので、横目で見ながら、広い農園の中を20分ほど歩いてから、農園の外に出ました。帰りは田舎道を電動アシストで走り、山の方が晴れていれば、もっと壮観なのだろうとか思いながら、穂高駅に到着して、電動アシストを返したら、600円でした。






穂高駅の近くにあった、お蕎麦屋で、わさび蕎麦という、二八蕎麦の上にわさびが乗ったそばを食べてから、松本駅に戻りました。結構、暑さですでに参っていたのですが、国宝の松本城を見ないわけにはいかないと思い、松本駅から路線バスで向かいました。実を言うと、お城にはあまり興味がなく、以前、鶴ヶ城を見た際も、外側から写真を撮っただけでしたが、今回も同じく、周辺を歩いて、写真だけ撮りました。お城好きそうな外国人観光客はたくさん見学に来ていました。鶴ヶ城に負けじ劣らず,立派なお城でした。


その後、天気の具合が悪くなりそうなので、ホテルまで歩いて帰ったら、意外とホテルの近くにあったことがわかりました。 翌日、来たルートを戻って、仙台に帰りました。
