トラベル日本人再考日記日高見国縄文文明

是川遺跡

 令和3((2021)年7 月に、北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産に登録されたことは、すでに書きました。これまでに、青森の三内丸山遺跡、秋田の伊勢堂岱遺跡(いせどうたいいせき)を見学しました。他にもたくさん遺跡があるのですが、その場所に行くこと自体がたいへんなところが多く、行きたくても行けないのですが、今回、八戸にある是川遺跡(これかわいせき)を訪れました。正式な登録名は、是川石器時代遺跡です。八戸に通うようになって、前から気になっていました。市庁舎の前には、世界遺産登録されたと大きな看板も立っていますので、誰でもすぐわかります。先週、八戸を訪問したついでに見学に行きました。

 是川遺跡は本八戸駅から30分くらいバスに乗ったところにあります。本数はあまりありません。宿泊先のドーミーインでまずはネットで時間を調べて、その時間に間に合うようにバス停に向かいました。ところが、バス停に到着する直前に是川縄文館行きのバスが、ちょうど動き出して行ってしまうではありませんか。不思議に思い、時刻表を見たら、2026年4月にダイヤ改正とあり、ネットの時間と違います。しまったやられた、とがっかり。仕方なく、次の時間をみたら、30分後に是川団地行きというのがありました。このバスの系統はみんな是川遺跡へ行くような表示になっていたので、仕方なくそれを待って乗りました。Google Mapを見ながら、行き先を気にしていると、どうも行く方向が少し違うような。結局、是川団地に到着しましたが、是川縄文館はそこから少し離れたところにありました。仕方なく、15分ほど歩いたら到着しました。帰りも同様なことが起きましたが、これも旅の醍醐味?かと。その話は省略します。

 立派な建物の是川縄文館です。八戸市埋蔵文化財センターに付設されています。後から気づいたのですが、建物の写真を撮るのを忘れていました。これからも時々八戸に来ることになるので、その時にまた来て撮ることにします。入館料250円を支払って、常設展を見学することにしました。ただ、伊勢堂岱遺跡の時は熊の出没のためでしたが、外にある遺跡自体は現在工事中で見学は出来ませんでした。中は暗いので気をつけてくださいと言われ、写真は撮ってもいいかと聞いたら、フラッシュを使わなければ構わないとのことで、入口から入ったら、ほぼ真っ暗。これでは普通のカメラやスマホでは写真はきれいに撮れない。写真を撮られないようにしている?のではなく、もちろん劣化することなく大切に保管するためでしょう。でも幸い、F1.7のレンズを付けたマイクロフォーサーズの小型カメラを持参していたので、余裕で写真は撮れました。

 前置きが長くなってしまいましたが、是川遺跡はいくつかの点在した遺跡群からなっていて、それぞれの活動していた年代が異なることを知りました。特に、縄文時代前期(約6000年前)から縄文時代晩期(約3000年前)まで続き、さらには弥生時代にまで続いていたことも知りました。約12000年前の土器も見つかっています。泉山さん兄弟が約100年前に見つけて発掘を始めたそうです。三内丸山遺跡は、約6000前に始まり、約1500年続きましたが、寒冷化の影響で衰退していきました。でも、是川遺跡はその後も引き続き、弥生時代まで続いていたことになり、てっきり縄文人はみんな西の方に移動したものと思っていたのは間違いでした。発掘された物も、縄文時代前期から縄文時代晩期までに渡り、たくさん展示されていました。これらを年代順に見ていたら、土器や土偶の進化がよくわかりました。

 縄文時代前期は主に土器や狩猟の道具などが発掘されていて、特に他の遺跡とも特徴の違いはないように見えました。その後、縄文時代中期には、三内丸山遺跡や伊勢堂岱遺跡で発掘されたような、板状の小型土偶が同じく発掘されているようです。そして、縄文時代晩期には遮光器土偶が発掘されたり、模様を施した土器など、ユニークなデザインの土偶や土器が発掘されているようで、ワクワクしながら拝見しました。そして、たくさん発掘された中から、国宝に選ばれた「合掌土偶」が、広くて暗い部屋の真ん中に一つだけ鎮座していました。遮光器土偶とは異なり、目、口、手足から人を模しているのがわかります。体に付いている、まさに縄文の文様は服の文様なのか、もしくは刺青なのか、少なくとも顔に付いている文様は刺青のように思います。どうして縄文人が刺青をしていたのかは、まだよく調べてはいませんが、していたことが事実なのはすでにいくつか書きました。合掌をしているのにも、当然意味があったと思いますが、今回はここまでにします。

 縄文遺跡を訪れるたびに、その奥深さにハマっていきます。さらに私なりに探索していきたいと思います。是川遺跡についても、より理解を深めた上で、また改めて書きます。