橿原・飛鳥その1
6月16日から3泊で、橿原(かしはら)ならびに飛鳥周辺を調査研究していました。飛鳥は聞いたことがある人も、橿原を聞いたことがない人がいるかもしれませんが、日本の歴史の中ではたいへん重要な場所です。端的に言えば、神武天皇が大和を建国したのが奈良の南に位置する橿原です。日本の歴史はここから始まったことになります。もちろん、いわゆる日本列島にはそれよりも遙か昔から縄文人が住み着いていたことはすでに書きました。ただし、その辺の話はここでは省略します。仙台からは、伊丹空港まで航空機で移動して、天王寺(あべの橋)まで高速バスに乗って、そこからさらに近鉄で橿原神宮前まで移動しました。橿原神宮の傍にあるグランドメルキュール奈良橿原というホテルに滞在しました。あいにく、ドーミーインは周辺になかったのですが、幸い大浴場がありましたので、こちらにしました。
朝9時過ぎのフライトにしたために、橿原神宮には14時前に着いてしまい、チェックインまでまだ1時間あったので、荷物だけ預かって貰おうとして聞いたところ、チェックインできると言われたので、チェックインしました。ただし、部屋は15時からしか使えないので、それまで時間を潰さねばと思い、考えていたら、また発作的に、行く予定にしていた近鉄線の2駅隣にある飛鳥に下見に行こうと思い立ち、ふらっと近鉄線に乗り込んで、飛鳥駅に着きました。ここは橿原の次に遷都した飛鳥宮や関連した古墳などがたくさんあります。ただし、私のお目当てはいろいろある巨石を見ることです。あくまで下見に来ただけなので、全体をざっと見ようと思ったところ、出雲で乗った巡回バスと同じ巡回しながら橿原神宮まで行く「赤かめ」というバスがあったので、それに乗ってぐるっと回って、橿原神宮まで乗ることにして、乗りました。移動経路の書かれたマップを見ながら、見所に停車しながら移動するバスでしたが、バス自体からは見所が見えるものはありませんでした。
そんなバスに乗っていたところ、何処のバス停かは忘れましたが、突然、黄色い帽子を被った、たぶん低学年の小学生が大量(10人?)にバスに乗ってきました。小型バスで座席が20席もないバスでしたが、それまでガラガラだった車内の席は一挙に埋まり、おまけに大騒ぎになり、あっけにとられていたのですが、どうも通学で利用しているようで、いつも同じバスで通っているのか、車内はハチャメチャ状態になりました。女性の運転手もよくご存じのようで、「危ないから捉まって」とか「入口から離れて」と何度も言われながら、自分の家の傍のバス停で一人降り、二人降りと減っていったのですが、見ているとみんな仲良しで、手を振りながら見送っていました。久しぶりに大量の子供に接して、とにかく元気で、仲が良さそうで、話を聞いていると吹き出しそうな話があったり、周りの下見をするはずが、小学生の観察に追われて、気が付いたら橿原神宮まで到着していました。でも、予想外な地元の普段の雰囲気に触れることができて、田んぼが回りに沢山あるような田舎町でしたが、思い出に残りそうな楽しい経験を毎日している小学生を見て、羨ましく思いながら、自分の小学校時代もついつい思い出したりしてしまいました。
奈良には、中学と高校の時に修学旅行で来ています。東大寺や唐招提寺に薬師寺、そして法隆寺などの寺院を見学したのは覚えていますが、寺院を見るというよりは修学旅行に行くということ自体が目的でしたので、特にその背景などは知る由もなく訪れていました。奈良に来るのはたぶんそれ以来になります。橿原はいわゆる奈良の結構南の方にあって、外国人の観光コースからは外れているのか、外国人の団体客はほとんどおらず、代わりにいたのは、私と同じく老後を楽しんでいる?お年寄りの夫婦や団体がほとんどで、ホテルの宿泊者も同じく、じいさんばあさんと言った感じでした。ただ、飛鳥周辺は、「飛鳥・藤原の宮都」として、現在ユネスコの世界遺産に登録審査中らしく、町中至るところにそう書かれた看板や提灯が飾られていました。登録されると、こちらも外国人観光客が増えることが予想されます。そうなる前に来て、むしろ良かったかと思いながら、翌日以降は、橿原神宮や大神神社(おおみわじんじゃ)をまず訪れて、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館を見学して、さらに飛鳥に移動して、日本にある巨石の代表格である益田岩船などを見て回りましたが、それについてはまた書きます。

