橿原・飛鳥その3(三輪山・益田岩船他)
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館を後にして、次に向かったのは大神神社(おおみわじんじゃ)です。神社名の読み自体に特徴があり、その読みとも関係があるのか、三輪山(みわやま)をご神体とする神社で、大国主神と同一神とされている大物主神が祀られています。ただ、このように命名されたのは明治に入ってからのようです。博物館の近くに近鉄の畝傍御陵前駅があるので、そこから乗車して、八木西口でJR桜井線に畝傍駅で乗り換えれば、三輪駅に行けるようなので、乗り換えようと畝傍駅まで歩いていたら、1時間に1本の電車が目の前で通過して行ってしまいました。仕方なく代わりに、ほぼ並行して走っている近鉄大阪線に乗って、三輪駅よりも手前の桜井駅で降りて、仕方なく2キロくらいを歩いて、大神神社まで向かいました。その途中、案内の看板の先に三輪山がちらっと見えるところで写真を撮り、さらに歩いたら、大神神社の二の鳥居まで辿り着きました。一の鳥居は西側の離れたところにあるようですが、そちらまで行くのはやめました。縁結びの神ということなのか、若い女性の参拝客が目に付きました。


二の鳥居をくぐり、両側に樹木が生い茂っている参道をしばらく歩くと、祓戸社があったのでお賽銭を入れて、二拝二拍手一拝して穢れを祓清めて、手水舎があったので手も清めて、そして階段があったので、登って行ったら、拝殿がありました。大神神社には本殿がなく、代わりに拝殿のさらに先には三ッ鳥居と呼ばれる少し変わった形の鳥居があって、その背後は三輪山になります。本殿のある一般の神社よりも古い形態の神社であることがわかります。拝殿前でお賽銭を入れて二拝二拍手一拝しました。出雲大社と同じ神様なのですが、出雲大社は、四拝四拍手一拝ですが、その違いがどうしてなのかはよくわかりません。これら拝礼も明治になってからのことのようですが。




三輪山には、三つの磐座(いわくら)、奥津磐座、中津磐座、辺津磐座があり、それぞれ、大物主神、大己貴神(オオナムチノカミ)、少彦名神(スクナヒコナノカミ)が祀られているそうです。いずれも、大国主神の国造りに参加した神、もしくは大国主神と同一神などの言い伝えがあるようですが、これらを説明していると話がまた長くなってしまうので、興味がある人は自分で調べてみてください。私が興味があるのは、磐座が三輪山にあるということ自体で、他にも岩や巨石がたくさんあるらしいとのこと。ただ、三輪山は禁足地になっているため、一般の立ち入りは禁止されています。唯一、大神神社の摂社である狭井神社(さいじんじゃ)から、特別な条件を満たした人だけ入山の許可が与えられて、入山することが認められており、狭井神社の中に山道の入口があります。でも当然ながら写真撮影は不可ですし、信仰が目的で健康な人などとの条件もありますから、私は最初から入山は無理だと諦めました。ただ、磐座神社という摂社も狭井神社の手前にあり、その名の通りそこには小さな磐座の一つが祀られていました。




大神神社にゆかりの話は古事記に書かれているものの複雑で神様もたくさん登場するので、もう少し知識を得てから、またいつか参拝することにして、大神神社を後にしました。帰りはJRの三輪駅から電車に乗ることにして駅まで向かいました。時間がちょうどお昼を過ぎた頃でお腹も空いていたところ、駅そばのお肉屋でコロッケを売っているのを見つけて、思わず2個300円で買ってしまい、電車が来るまでに食べましたが、お腹も空いていたので、おいしかったです。
JR桜井線で畝傍駅まで行き、大和八木駅で近鉄線に乗り換える前に、改めてお昼を食べてから、近鉄橿原線に乗って、橿原神宮駅を通過して、二つ先の飛鳥駅で降りました。初日に下見をしたところですが、そちらに行くのではなく、今回の調査研究で一番見たかった「益田岩船」のあるところまで、Google Mapを頼りに歩きました。地図上では20分くらい歩けば到着する距離でしたが、どうも道が分かりづらくて、途中二手に分かれたところで進んだ道が間違いだったため、迷路状態の道を歩くことになり、倍の時間が掛って、やっと益田岩船がある小山の入口まで到着しました。史跡岩船と書かれたパネルがあり、その下には何故がうさぎが一匹鎮座しておりました。


入口から急勾配の山道になっており、ちょっとしたハイキング状態で息を切らしながら、それほど時間はかからず、目の前に現れた岩は想像以上に大きくて、圧迫感のある巨石です。下側から見た岩には何か刻んだ線が複数付いていました。傍にあるパネルには入口にあったものと同じことが書かれていましたので省略しますが、岩の大きさは、長さ11m、幅8m、高さ4.7mと書かれていました。写真から伝わってくる大きさより格段に大きな岩です。上には、幾何学的に彫られた穴が二つ空いていました。岩の周りは竹林だけで、他の岩は見当たりません。何に使われていたかについてはいろいろ説があるようですが、そもそもこの場所に、こんな巨大な岩があること自体が極めて特異です。地下構造がどのようになっているかはわかりませんが、ついついプマプンク遺跡を思い出してしまいました。




大神神社で結構歩いたのと、山道を登ったりしたこともあり、疲れてきたので、山道を下り、今度は別の道を歩いて、20分ほどで飛鳥駅まで到着して、近鉄に乗って橿原神宮駅まで戻りました。
3日目は、飛鳥周辺にある他の巨石を見て周りました。コラムが長くなりますが、続けて書きます。初日に下見で、飛鳥駅から巡回バスに乗って、橿原神宮駅まで移動したことは書きました。ただ、出雲で巡回バスを使った時のように、どうしてもバスの時間に制約されてしまい、思うように見れないと判断しました。そこで、レンタサイクルを借りて、巡ることにして、ホテルの近くにレンタサイクル屋があったので、そこで電動アシストのママチャリを、1日1700円と少しお高かったですが借りて、橿原神宮側から、巡回バスの路線をほぼ逆回りしました。少し走れば、この辺は本当に田舎の風景です。ちょうど、田んぼの稲穂が出始めている頃でした。また、昔ながらの家並みも残っていました。


飛鳥周辺には結構な数の巨石があります。まず、辿り付いたのは、酒船石遺跡になります。その隣にも亀形石遺跡というのがあったのですが、有料になっていたのでこちらは見るのはやめて、小山の上の方に少し歩いたら、酒船石がありました。益田岩船に比べれば、そんなに大きくはないのですが、長さ5.5m、幅2.3m、厚さ1mの平らな巨石で、上には彫られた窪みが2つあり、それらが水路のような溝で繋がっています。酒や油を造る道具とか、庭園の石飾りだとか、諸説あると近くにあったパネルには書いてありました。


続いて訪れたのは、石舞台古墳です。有料でしたが、見る価値ありと判断して、500円を払って見学しました。大きな石積みされた古墳です。7世紀頃に造られた古墳だとされていますが、誰の古墳なのかはよくわかっていないようです。舞台のような形をしているので、そう名付けられたそうです。総重量2300トンの石で造られた古墳には中に空洞があり、天上石は77トンあるとのこと。仮に7世紀としても、これを組み立てるのも結構たいへんだったはずですが、本当に7世紀なのかどうかは、どうなんでしょう?


最後に訪れたのは、亀石と呼ばれている巨石です。周りが田んぼの道を走っていくと道沿いの普通の住宅地の中にありました。その由来はよくわかっていないようですが、あまり観光客が訪れている気配もなく、隣にある休憩所の人気(ひとけ)もなく、巨石なのにちょっと寂しそうな?亀さん。


実は他にも、飛鳥寺や飛鳥史料館なども見学しました。飛鳥といえば、高松塚古墳なども有名で、どちらかと言えば、観光客もそちらを見学しているようです。なにぶんにも、私の思考がまだ古墳時代には至っていないので、今後の調査研究の指向がそちらに向くことがあるようでしたら、改めてゆっくり訪れることにして、今回はそれらの内容は省略します。飛鳥には他にもいろいろ巨石や石造物などが点在しているようで、縄文時代から始まった磐座信仰が、時代を経て、形を変えて何かしらの巨石信仰に繋がっているものと理解しました。我々が死んだ後に入るお墓も石造りです。はたして、その目的は同じなのか、もっと私なりに調査が必要と感じました。
最終日はフライトが午後だったので、午前中に吉野まで近鉄で50分ほど掛けて移動して、ケーブルカーに乗って吉野山道を歩いて、葛きりが好きなので、吉野葛のお店で葛きりを食べて、お土産にも買ってから、帰路に着きました。次は、長野の諏訪で来週から調査研究する予定です。
