トラベル巨石文明日記縄文文明

松本・諏訪その1

 先週は松本・諏訪ならびにその隣の茅野(ちの)に行って調査研究していました。それから北にある安曇野にも寄りました。例によって予習のため、戸矢学さんの「諏訪の神 縄文の<血祭り>を解き明かす」を読ませていただきました。なんとも、血生臭いタイトルですが、読んでみて、なるほどの連続で、想像以上に諏訪地方そして諏訪大社の歴史が複雑であることを知りました。諏訪大社についてはこれまでも、いくつかその真偽が良く分からない情報は仕入れていましたが、その疑問をかなり解き明かしてくれました。先に書いたように、古事記の中では、建御名方神(タケミナカタノカミ)が逃げ込んだ場所が諏訪になっています。別に読んだ本では、行われている奇祭、御柱祭や御頭祭が渡来したユダヤ人に起因しているとする、いわゆる日ユ同祖論の都市伝説?などもありました。これらの???がかなりすっきりしました。いずれにしても、諏訪地方、特に近郊の茅野(ちの)周辺からは、多くの縄文遺跡が発掘されていますので、まずは縄文時代から縄文人が住んでいたことを念頭に入れておく必要があります。

 仙台からは、東北新幹線で大宮まで行き、北陸新幹線に乗り換えて長野まで行き、その後、特急しなので松本まで行きました。宿泊先は松本のドーミーインです。場所的に、諏訪と安曇野の真ん中辺りにあります。松本といえば、松本深志高校出身のOBを知っていますが、深志という名前が松本城に由来していることを知りました。深志城がその始まりでした。信州大学のいわゆる教養課程も松本キャンパスにあるようで、仙台と同じく学徒の町を謳っています。松本駅に着き、まず驚いたのは学生が多いのは当然として、外国人、特に大きなリュックを背負ったり、家族ずれの欧米系(主に米国?)外国人が多いことです。松本は新幹線こそ通っていませんが、東京、名古屋を初めとした各方面から繋がる鉄道路線が交叉していて、いろんなところから人が行き交う観光拠点のようです。事前の知識でも、近くに山岳地帯があり、登山客が上高地などの景勝地へ行ったり、南には諏訪湖などがあり、アニメの聖地(たぶん、君の名は)などに行っているのでしょう。ただ、私はいまのところ登山はする予定はありませんし、アニメの聖地を訪れる趣味もありません。

 私が一番行きたかったのは、茅野にある「茅野市尖石縄文考古館」です。ここには茅野周辺の縄文遺跡から発掘された2つの土偶が国宝として展示されています。知る人ぞ知るかもしれませんが、茅野を初め、諏訪湖から周辺の広範囲に、縄文人が縄文時代中期頃(約5000年前)にたくさん住んでいたことがわかりました。でも、北東北の縄文遺跡が世界遺産に登録されたこともあり、そちらが有名になって、こちらはあまり知られていないように思われ、実際のところ私もつい最近まで知りませんでした。松本を中心とした、いわゆる信州は、周りを高い山々で囲まれた典型的な盆地です。なんで、こんなところに縄文人が住み着いたのか? 戸矢さんの著書にも書かれていましたが、諏訪湖は約13万年前、大規模な地殻変動により大地が裂けて窪みができ、そこに川の水が溜まってできた湖とされています。大地が裂けて? ここは、九州から関東にまで繋がる中央構造体と呼ばれる大きな断層と、ホッサマグナと呼ばれている南北の繋がる大規模断層の西側の縁にある糸魚川-静岡構造線の、ちょうど交点に当たる場所で、いわばニホンのヘソに相当する場所です。諏訪湖の西側には、伊那山地があり、その北端には守屋山があり、守屋山は諏訪大社の上社本宮の本来のご神体です。

 これまで、いろんな縄文遺跡や神社を見て回り、いずれにも共通しているのは、近くに山があり、川や湖があり自然豊かなところで、山をご神体にする磐座や社や神社があるという点です。これらの情報から、自然のあらゆる物を神とする八百万神の信仰は、自然の恵みへの感謝、自然の脅威に対する畏怖から始まったと確信しています。特に、日本列島は他国には見られないほど、火山が多く、噴火もして、地震も頻繁に発生して、津波にも襲われ、台風が来れば洪水になり、そのたびに多くの縄文人が犠牲になっていたことは容易に想像されます。そんな大地の自然災害を、どうにかして鎮めたいと思うのは、現代人も同じです。諏訪大社では、他にはない奇祭として、御柱祭と御頭祭が行われており、諏訪の人たちにとっては一番大切なお祭りになっています。

 戸矢さんによれば、いずれも、元々は「生け贄」と深く関係していたと書かれていました。生け贄と聞くと、現代人は血生臭い儀式と捉えますが、その昔から、生け贄の風習は、世界各地で知られています。長江文明やアステカ・マヤ・インカ文明を初め、アブラハムは神の啓示に従い、息子を生け贄にするところでしたし、古代ユダヤの子羊の生け贄など。これらに共通することは、それぞれが信仰する「神」への捧げ物、忠誠心の証しとしての生け贄であり、当時としては、神聖な儀式だったことが想像されます。死に対する考え方が、現在とは根本的に違っていたのでしょう。そのような神聖な儀式に繋がる御柱祭と御頭祭を、今でも続けている諏訪の人たちは、まさに縄文時代から続く信仰を受け継いでいる人たちなのでしょう。2日目に、実際に諏訪大社を訪れましたが、それについては改めて書きます。