利他の精神性
最近、各地を調査研究していて気が付くのは、以前に比べて、外国人観光客がすごく増えたことです。日本の観光業が潤うことはいいことです。日本が好きで訪れる観光客はウエルカムです。神社・仏閣などにもたくさんの外国人観光客が訪れています。最近のSNSの普及により、観光で訪れた外国人が、インスタやYouTubeなどに紹介して、それを見た外国人が行ってみたいと思って来日しているのでしょう。日本の文化がますます海外に知られることは悪いことではありません。でも、一部の外国人観光客に対して、日本人はなにか歓迎出来ない気持ちを抱いていませんでしょうか? 我々日本人のいわば常識と思われることが、実は外国人にすると、むしろ異質に思われるところがあるようです。神社・仏閣を訪れたからと言って、日本人が持っている精神性を理解している人は、あいにくほどんどいないでしょう。どちらかと言えば、インスタ映えする写真が撮りたい? 鳥居にぶら下がって写真を撮ったり、境内を大声で歩いたり、まして鳥居をくぐるときに、一礼などしないでしょうし、手水舎で手を清める意味も、二礼二拍手一礼するのも、異教徒の神にお辞儀などしないのではないでしょうか?
どこの国でも、その国に入国すれば、その国のルールや慣習を尊重して行動するのは、最低限のマナーだと思います。我々日本人も当然ながら、海外を旅行するときは、極力その国のルールに従おうと思います。でも知らぬがゆえに、違反してしまうことはあります。たとえば、昔パリを旅行していたとき、地下鉄を使って移動していたところ、地下道で検閲に引っかかり、罰金たしか30ユーロを支払わされたことがありました。どうも、キップの指定区間外に行ってしまったようでした。日本なら、その場合、まず改札でひっかかりますし、精算するだけです。わざと知らない外国人をカモにしているのではと、その時は疑いました。あとは、アメリカの路肩でスーツケースを転がしながら歩いていたら、黒人が近づいて来て、おまえどこに行くのかと聞かれ、目の前にあるホテルに行こうとしていたのですが、付いてこいと言われ、50mも歩かないところで、手を出してきました。チップをよこせということかと、最初1ドル札を出したら、チェと言って、さらに要求するので、仕方なく5ドル札を出したら、ニコニコしながら行ってしまいました。そもそも、アメリカで外を一人で歩くこと自体が、命取りになりかねないとその後に理解し、反省しました。
それぞれの国のルールを守るのは当然としながら、ルールだけではなかなか縛ることができない、それぞれの国のマナーもあります。西欧でしたらば、スープを飲むときに音を立てたり、お皿を持ったりするのは御法度です。ゆえに、西欧からの観光客が日本に来て、ラーメンなど麺を食べるときに、周りを見て、相当違和感を感じるはずです。音を立てながら麺をすすっている、その行為が異様に見えます。それで自分は音を立てずに食べようとすると、舌や喉を火傷します。音を立てて麺をすするのは、火傷しないように、空気に触れさせながら、食べているからです。でも、初めて訪れた外国人にはそれがわかりませんし、なかなか真似もできないようです。やはり生まれてこれまでに身に付けてきた習慣を、すぐ変えることはできないでしょう。日本に来た外国人が、電車の中で大声で話していたり、列に割り込んできたり、ゴミを平気で捨てたり、お店の店員に文句を言ったりすることが、SNSなどでも話題になっていますが、日本人なら当然それらをやめて欲しいと思います。でも、それぞれの国の中で身に付いた習慣ですから、注意されてもむしろ理解できないかもしれません。
自分は無宗教徒だと思っている日本人(以前は私もそうでした)も多いかと思いますが、年末年始に、クリスマス、大晦日、初詣を経験している段階で、すでにそれは八百万神を信仰する日本人だということです。一神教を信仰する外国人からすれば、それは唯一神に対する背信行為です。でも、日本には八百万の数だけ神はいます。我々日本人が何気に経験していること、たとえば、お店や電車の乗車では順番で並ぶ。公共の場では大声を出さない。お年寄りに席を譲る。道で困っている人に声を掛けられたら助けてあげる。お財布が落ちていたら交番に届ける。無人販売所でちゅんとお金を払う。小学生が一人で登校していても誘拐などしない。セルフサービスのお店で食べた後のお皿はちゃんと下げ口に持っていく。ほとんどの日本人は、これらを日常生活の中で普通に経験しています。日本人は神を信じていないと思っている外国人がたくさんいるようですが、日本に観光で訪れて、自国とは違う環境に接して、神社・仏閣を訪れるにつれて、八百万の神々を無意識に信仰している日本人の精神性に、徐々に気付いていくことでしょう。その精神性の根底にあるのは、いうまでもなく「利他」の精神です。それは、島国日本の自然環境の中で、1万年以上暮らしてきた縄文人が身に付けていった本能のようなものかと、私は思います。
