トラベル巨石文明日記縄文文明

出雲その3(磐座)

 出雲大社の参拝を終えて、次に向かったのは、磐座(いわくら)があるとされている命主社(いのちのぬしのやしろ)と呼ばれているところです。正式名は神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)。古事記に出てくる天地を開いた三神のうちの一柱である、神産巣日神(かみむすびのかみ)が祀られているそうです。須佐之男命が誕生する前の神様です。そちらに向かおうとしたのですが、マップを見ると、出雲大社の隣に、「さざれ石」があるということなので、まずはそちらに行きました。さざれ石は小さな石が長年かけて固まり大きな岩になったものだそうです。さざれ石、どこかで聞いたことありませんか? そうです、国歌に出てきます。

 君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

さざれ石のことを知って、恥ずかしながら、国歌の意味を初めて理解しました。

 さて、寄り道はこれだけにして、命主社は銅鳥居の前の道を東側に行くとあるようなので、その道を歩いて向かいました。古めかしい趣のある小道をしばらく歩くと、巨木とともに小さな社殿が見えてました。磐座とされる巨石の前に社殿が建てられたということのなので、社殿に近づいて裏側を見てみたのですが、裏山自体なのか、それと思われる巨石を確認することができませんでした。それよりも、社殿の前に鎮座?している巨木の方が、社殿よりも存在感を示していました。樹齢千年くらいのムクノキだそうです。なんとなく、この巨木にも神が宿っているのを感じました。社殿の裏山から江戸時代に、銅剣と勾玉が見つかったそうで、先に見た出雲大社の宝物殿に展示されていたものでした。磐座の近くで見つかった銅剣と勾玉、そして神産巣日神を祀った社殿。あらゆる物に神が宿る八百万神信仰の縄文時代から、神が座した巨石を信仰する磐座信仰、そして人格化した神を社殿に祀る時代への移行が見えてきました。 もともと、巨石をご神体としてお祀りしていた後に、社殿が建立されていったものと理解しました。

 もう一ヶ所、磐座がここからさらに東に行ったところにあるというので、そちらに歩いて行きました。そこは、命主社と同じく、出雲大社の境外摂末社の一つです。摂末社とは、出雲大社に属している小さな神社という意味です。しばらく歩いたら、左手に、なんかどこかのアニメにでも出てきそうな、石段のある小さな社殿が見えてきました。ただ、雑草が茂っており、あまり整備されている雰囲気はありません。ここには、岐神(くなどのかみ)が祀られているそうです。「大国主大神が国譲りの際、大神の命により経津主神(ふつぬしのかみ)に付き添い諸国を平定し国内国土を統一せられた効神です」、と書かれた看板が立っていました。どのような神様かは詳しく調べていませんが、千葉にある香取神社の主祭神ということで、私の新たな探求のきっかけになりそうな社殿でした。その社殿の裏側に行ってみたところ、磐座と思われる巨石を見つけました。どうしてこの場所にこのような形の巨石があるのか、不思議で妄想が膨らみます。なんか、のみを打ったような跡も付いていました。

 磐座があるとされる二ヶ所の神社を訪れて、満足したので来た道を帰ることにして、周りを見ながら歩いていたのですが、道沿いにある古い造りの一軒家には、必ずと言ってよいほど、大きな石が置いてありました。たぶん、家を建てる際にどこかから運び込まれたものだと思いますが、磐座信仰が各家々にも受け継がれているのかもしれない、と勝手に思いながら、歩いていたら、出雲大社の参道まで来たので、参道を戻り、帰りは一畑電鉄(いちばたでんてつ)の電車で出雲駅まで帰りました。

 次の日は、松江方面に調査研究で出向く予定にしていたのですが、朝から天候が大荒れで、風が強くて外に出ることもできず、計画を断念して、食事の時に吹き飛ばされそうに外に出た以外はホテルの部屋で時間を潰すことになってしまいました。でも、初日に無事に出雲大社を参拝することができて、幸いでした。あいにく、荒神谷遺跡の銅剣が見れなかったので、たぶん来年の同じ時期辺りにまた再訪するかと。ちなみに、帰りの航空便は何事もなく、無事に帰仙しました。