トラベル巨石文明日記縄文文明

出雲その2(出雲大社)

 4月22日の朝に出雲大社を参拝しました。前日、夜遅くに出雲入りしたので、外は真っ暗でよくわからなかったのですが、出雲駅前のバス停から出雲大社行きのバスに乗っていたら、すぐ気が付いたことがあります。それは、「色」です。戸建ての家の色が、みんなほぼ統一されていました。屋根が、いわゆる柿色もしくはベージュ色で、壁はほとんど白色でした。それから、瓦屋根。あと、ほとんどの車が白もしくは黒色でした。出雲の町には原色がほとんど見当たらず、ちょうど新緑の季節だったので、全体がパステル調の色合いで、なんとなく、「ほんわか」とした雰囲気を醸し出していました。これは、まさに出雲大社のある町ゆえのことなのか、意識的にそうしているのか、よくはわかりませんが、他の普通の町とは明らかに異なる雰囲気を感じました。

 30分ほどで、出雲大社前に到着しました。最初の白い鳥居をくぐったら、少し下り坂の道がしばらく続きます。道の左右には松の木が植えられて、次の鳥居まで続いていました。

 これまでは神社に行っても、ろくに参拝もせず、写真だけを撮って帰ったりしていたのですが、定年退職もしたことですし、少し心を入れ替えて、郷に入っては郷に従えと、ガイドブックに書かれてある参拝方法に従って参拝することにして、次の勢溜(せいだまり)鳥居と呼ばれている二つ目の鳥居をくぐる前に、まず道を左に曲がって、稲佐の浜まで歩いていきました。それなりの距離があり、20分くらい歩くと、稲佐の浜に辿り付きました。一帯が砂浜の中に、以前は島だったとされる弁天島と呼ばれている、おにぎり型の小島があり、その上に沖御前(おきのごぜん)神社の小さな鳥居がありました。神社の謂われについては省略しますが、この浜は神在月で出雲大社を訪れる八百万の神をお迎えするところだそうです。ここに来た目的は、砂浜の砂を少し頂くことでした。神社でお賽銭を入れて、二礼、四拍手、一礼してから、弁天島の周りにあった砂を、携帯したプラスチックの小瓶に詰めてから、来た道を戻りました。

 勢溜鳥居の手前で一礼してから、鳥居の端の方をくぐり、少し行った右手に、祓社(はらえのやしろ)と呼ばれる小さな社殿があり、そこでまずは、俗世間の穢れを落として身心を祓い清めてから参拝をするそうなので、ここでもお賽銭を入れて、二礼、四拍手、一礼しました。

 心身を清めた感はまったくありませんでしたが、清めたことにして、その後、めずらしく下り坂になっている参道を歩いて行くと、祓橋があるので渡り、次に中の鳥居と呼ばれる三番目の鳥居があるのですが、それはくぐれないようなので、その横を歩いて行くと、手水舎があります。そこの清水で手と口を清めました。そして、四番目の銅鳥居を一礼してくぐると、大きなしめ縄が付いた拝殿があります。現在の拝殿は昭和34年(1959)に再建されたもので、通常はここで参拝者のご祈祷が行われているようです。そこでも、お賽銭を入れて、と思って財布の中から10円玉を出そうとしたら、すでに在庫切れで、残っていたのは百円と1円だけだったので、さすがに1円というわけにもいかず、百円を賽銭箱に入れて、二礼、四拍手、一礼しました。拝殿の背後には、本殿がありますが、反時計回りで参拝するらしいので、そうしようとしたところ、右手に宝物殿と書かれた場所がありました。

 実は当初、出雲に来る一番の目的は、荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)で発掘された358本の銅剣を見ることで、出雲大社に隣接している古代出雲歴史博物館に展示されているはずなのですが、9月まで改修工事のため休館であることを直前に知りました。代わりの物とかあるかもしれないと思い、宝物殿も見学することにして、入館料300円を支払って入りました。写真撮影は不可だったので、中の写真はありません。建立当時は48m(16丈)の高さがあったとされる本殿の縮小模型が置いてありました。これが本当であれば、さぞかし壮観だったろうと思います。杉の巨木を三本束ねた宇豆柱と呼ばれる巨大柱跡も発掘されています。他の展示物の中で、私にとって核心的だったものは、同じ場所から発掘された銅剣と翡翠の勾玉が展示されていたことでした。翡翠は日本では主に糸魚川から産出されます。それから造られた勾玉は、まさに縄文文明を象徴する遺物であり、先に書いた三内丸山遺跡からも発掘されています。したがって、出雲が糸魚川付近や三内丸山とも海路で交易していたものと確信しました。大量に見つかった銅剣も、何かしらの大規模な祭祀で使われていたものと推測します。それでは、そんな銅剣を358本も地中に埋めた荒神谷遺跡では、何のために埋めたのか、ますます謎が深まります。古代出雲歴史博物館がリニューアルオープンする10月以降(神在月は混みそうなので11月の後)にまた訪れたいと思っています。

 話が少しそれてしまいましたが、参拝順路にしたがって、本殿を反時計回りに回ることにして、本殿の東側の参道を歩きました。その参道の右側には十九社と呼ばれている細長い社殿があり、そこは神在月に訪れた八百万神の宿舎だそうです。そうすると、いまは誰もいないのかと勝手に解釈して、お賽銭は入れずに通り過ぎました(もしかして留守番が居たらごめんなさい)。他にもいくつか小さい社殿が並んでいて、そのうち一つにお賽銭を入れたように記憶していますが、あと百円玉しかないので、だんだん適当になってきて、いつもの自分に戻りそうになって歩いていたら、本殿の背後にある素鵞社(そがのやしろ)の前まで来ました。ここに須佐之男命(スサノオノミコト)が祀られています。もともとは素鵞社のさらにすぐ背後にある八雲山がご神体で、そこに素鵞社が建立されて、さらに国譲りの後に、その南側に出雲大社が建立されたという時代背景があるようです。出雲の成り立ちに極めて重要な須佐之男命ですが、話が長くなりそうなので、改めて書くことにします。

 素鵞社でお賽銭百円を賽銭箱に入れて、二礼、四拍手、一礼しました。そして、先に稲佐の浜から持ち帰った砂は、素鵞社の横にある砂箱に奉納して、代わりにそこにあるお清めの砂をいただく習わしがあるということで、年甲斐もなく、それに従って、プラスチック容器に入れた砂を箱に奉納しようとしたのですが、砂が湿っていたため、容器にへばりついてしまい、しかたなく指でほじくりながら、持ってきた砂を奉納して、代わりに同量くらいの砂を拝受しました。その後、素鵞社の裏にある八雲山に繋がる岩山に触ると御利益があるということで、触らさせていただきました。

 素鵞社を後にして、本殿の西側にある参道に進みました。本殿の北側には稲葉の白兎にちなんだ、兎の石像が置いてありました。稲葉の白兎と大国主神との話はみなさんご存じかとは思いますが、これも話が長くなるので、ここでは省略します。本殿の西側といえば、稲佐の浜がある方向ですが、本殿に祀られている大国主神は本殿正面方向ではなく、西側の稲佐の浜の方を向いているらしく、その前でも参拝して、本殿を一周したところで、近くに御守所があったので、御守を授かりました。そして、出雲大社を後にしました。

 出雲その1で書いた通り、調査研究の目的の一つに磐座の調査があります。素鵞社裏の八雲山に繋がる岩山もその一つです。他にも磐座が出雲大社の近くにあり、そこを訪れましたが、話が長くなるので、また改めて書きます。