アラハバキ神
これまでに縄文文明、そしてそれに続き、東北地方にあったとされる日高見国について、いろいろ調べていた中で、一つ気になっているものが、このアラハバキ神という存在です。漢字では、荒脛巾などと書かれます。それは、日高見国の民だった蝦夷の人たちが信仰していた神であるという点です。大和朝廷側から蔑んで蝦夷と呼ばれていた日高見国の人たちのルーツは、間違いなく縄文人であることは確信していますが、そうだとすると、八百万の神を信仰していることになります。アラハバキ神については未だ謎深く、ネットで調べれば、いろんな説が出てきます。自然のあらゆるものに神が宿る、いわゆる自然崇拝である八百万の神信仰の中でも、特にこの神を強く信仰するようになったのには、どんな理由や経緯があったのか、八百万の神の中の、一柱、もしくはたくさんの柱であることはたしかですが、いわば太陽神のように象徴的に信仰するに至ったのには、何かしらの理由があったことは間違いないでしょう。
ここではそれを解明するなどという恐れ多いことは考えていません。自分なりに縄文文明の点と点を繋ぐ際に、この神の存在が重要な鍵の一つになってきたと感じているだけです。鍵はすでにいくつも見つけています。まずは、最近次々と発掘されている縄文遺跡の存在自体。遺跡から出土した、土器、矢じり、勾玉、土偶。それらの材料としての黒曜石や翡翠(ひすい)。金、鉄、銅の産出場所。そして、それらから造られた、銅剣、銅鐸、鉄剣や仏像の鍍金。7300年前の大噴火でできた鬼界カルデラの存在。古事記や日本書紀など記紀に書かれている内容。大国主神(オオクニヌシ)の国譲りや神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)こと神武天皇の東征、先に大和に地にいた饒速日命(ニギハヤヒ)、戦いに破れた那賀須泥毘古(長髄彦:ナガスネヒコ)と陸奥国の奥六郡を治めていた俘囚長の安倍頼良のルーツとの関係、そして、日本人の遺伝子分布、特にY染色体ハプログループの偏在。すでに得られた鍵が結構たくさんある中で、このアラハバキ神がどのように位置づけられているのかが、たいへん気になるところです。
日本には昔から、磐座(いわくら)信仰があります。これは、神が座したとされる巨石をご神体のように信仰する古代信仰です。神社ができる前からある自然崇拝の信仰です。巨石をアラハバキ神として信仰しているところも,東北地方にはいくつかあります。たとえば、ネットで検索すると、岩手県花巻市の丹内山神社や宮城県多賀城市の荒脛巾神社などが出てきます。後者については、国府多賀城が出来る以前のものであるとする説と、国府が出来てからできたとする説など、これまた不確定性が増えてしまいますが、巨石をアラハバキ神として信仰していたことはたしかなようです。そして、巨石に話が繋がると、巨石文明との関係にまで妄想が広がります。プマプンク遺跡、ナンマトル遺跡、コスタリカ巨大石球について、すでに書きましたが、その際の私の妄想は、反重力にまで繋がりました。アラハバキ神の巨石と反重力を繋ぐつもりは、いまのところありませんが、まったく関係ないと否定することも、その根拠が示せない以上、できないかと。
おかしな方向に話が向かいそうになりましたが、そんな妄想を抱きながら、今週、出雲に「調査研究」で出向ていました。出雲にも、いくつか磐座がありました。というよりは、磐座の起源は出雲にあると理解しました。それらの話はまた次回に書きます。興味がない人にとってはどうでもいいことかもしれませんが、縄文文明を紐解こうとすればするほど、さらに謎が深まっていきます。遮光器土偶の顔、火焔型土器の模様、翡翠の勾玉(まがたま)、体の刺青、環状列石、六本柱...。皇室が伝承する三種の神器は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の御神体とされる八咫鏡(やたのかがみ)と、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、そして建速須佐之男命(スサノオノミコト)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した際に得た草薙剣(くだなぎのつるぎ)です。その一つが翡翠の勾玉であり、縄文文明を象徴する飾りもしくは祭祀の道具です。そして、草薙剣は出雲に繋がります。
