花巻と宮沢賢治
お盆中に2泊3日の旅程で見た話をここのところ書いていましたが、先にも書いた通り、初日に台風が直撃して、本当は行く予定だった遠野に行くことが出来なかったので、代わりに新幹線を新花巻駅で降りて、そこから宮沢賢治記念館に行きました。2度目になります。ただし、1度目の記憶はほとんどありません。その時は、宮沢賢治にこれといって興味はありませんでした。今回も特別に興味があったわけではないですが、縄文時代に興味を持ち、遠野の民話に興味を持ち、遠野物語やその周辺を知るにつれて、宮沢賢治も自ずと存在感を増していきました。かと言って、熱狂的な宮沢賢治ファンでもありませんので、そんな感じで宮沢賢治記念館に入館しました。中にはそんな(熱狂的な?)ファンがたくさんいました。
宮沢賢治といえば、「銀河鉄道の夜」や「注文の多い料理店」など、書名だけは聞いたことがあるかと思います。これらは子供が読んでもわかるような童話になっています。「イーハトヴ」(イーハトーヴ)と言う言葉は岩手に行くと至るところで聞きますが、これは宮沢賢治が、「著者の心象中に、このような情景を持って実在したドリームランドとしての日本岩手県」であると説明しているそうです。ゆえに、岩手県のことを指していました。そのイーハトーヴを書したのがこの二冊の童話であることがわかります。宮沢賢治が思い浮かべて心象中に描いたイーハトーヴを活字化したのでしょう。
さて、そのようなドリームランドを思い描くきっかけは何なのかに興味を持ち、賢治の生い立ちを追ってみました。詳細はネットで調べればわかります。見てみると、少年期のできごとが大きく影響しているのだと察しました。宮沢家は先祖代々、浄土真宗を信仰しており、父親は花巻仏教会を創設したほどの筋金入り?の信者だったようです。賢治も小さい時から、その教えのもとで生活していたようで、仏教書なども読まされていました。ところが、18歳のときに法華経に接すると、その教えに感動して父親にも改宗を迫ったりしたため、宗教で家族と対立します。これを少し引いて見れば、賢治は子供のころから仏教の教えに強く導かれた宗教家だったことがわかります。浄土真宗にしろ、法華経を経典とする日蓮宗にせよ、いずれも庶民を救うことを願った仏教です。その後の賢治の生い立ちを見ると、まさに根底に仏教の教えがあったのだとわかりました。
主席で盛岡高等農林学校(今の岩手大学農学部)に入学して、特待生にもなった秀才でした。農業を通して農民の生活を豊かにすることを考えていたようです。卒業後に童話の創作も開始して、高農研究生(いまの大学院?)にもなり修了しています。修了後には、妹のトシが病死したり、父親と仲違いして家出して上京したりと、いろいろあったようですが、26歳の時に県立花巻農学校の先生になりました。教師として学生を教育しながら、執筆活動を本格化させて、「注文の多い料理店」はこの間に執筆しました。他にもいろんなことに興味を持ち、いろんな活動をしていますが、ここでは省略します。でも、上京して執筆活動したいという思いが強かったのか、30歳になって教師を依願退職して上京しました。その後、執筆とともに、花壇の設計、肥料の開発、政治団体の支援、セロ(チェロ)の習得など、いろんな活動をしていたのですが、急性肺炎にかかって体調を崩しました。少し回復したので地元に帰って、今度は東北砕石工場の技師になります。しかしながら、肺炎が再発して、39歳の時に亡くなりました。
今回、宮沢賢治記念館を訪れて、特に印象に残っているものは、まず、「注文の多い料理店」を出版するために、挿絵を担当する菊池氏へ、こんなイメージで書いてくれと、「注文の多い料理店」に収録されている「月夜のでんしんばしら」の原画を送ったそうです。見たことがある人もいるかもしれません。これには、もらった菊池氏が自分よりも先にすでに挿絵が完成していると嘆いたとか。もう一つ、「雨にも負けず風にも負けず・・・」に始まり、「・・・そういうものに私もなりたい」で終わる詩ですが、これを書いたのが、まさに肺炎で苦しんでいる時だったことを知りました。これはドリームランドのことではなく、本人の本当の心象を詩にしたものでした。
宮沢賢治記念館の周りには、宮沢賢治童話村、宮沢賢治イーハトーブ館、そして花巻市博物館があり、これらを無料のバスが巡回しています。いずれも行ってみました。宮沢賢治童話村は子供向け、宮沢賢治イーハトーブ館はディープなおばちゃん向けといった感じで、行ってみましたがそそくさと移動しました、花巻市博物館ではたまたま、「アニメージュとジブリ展」という特別展が開催されていて、こちらの方が若者層で格段に混んでいました。私も1800円という(法外な?)入場料を支払って見てきました。ちなみに、常設展は宮沢賢治記念館と共通券で550円です。そして新花巻駅に帰ろうと思った時に、スマホが壊れました。ジブリ展については、また書きます。