日本人再考日高見国

縄文人と蝦夷

 「仙台再発見」も一段落しましたので、例によって、まとめて、また出版する予定です。ただ、Google マップがその著作権から、出版には耐えられないと判断したので、現在、別のマップに置き換え中です。

 さて、先週にもちらっと書きましたが、最近、一連の話の流れで「日高見国」(ひたかみのくに)に興味が移っています。日高見といえば、石巻の平考酒造が醸造している日本酒が有名ですが、私も純米大吟醸が大好きです。純米酒も好きです。震災で酒蔵が損壊してしまいましたが、幸い再建して、宮城の地酒として、日本中で愛されている日本酒です。私も震災の被害に遭った石巻を少しでも応援するため、時々買ったり、贈答品としてあげたりしています。その日高見は知っていても、日高見国はほとんど知られていません。平考酒造は当然、この日高見国から名前を取って、日高見と命名したのでしょう。知らないのは当然です。なぜならば、いまの日本史の教科書からはその存在が消されてしまったからです。でも、私が探して見付けた数冊の書籍では、同じように次の日本書紀の一節を引用していました。

「東の夷中に日高見国有り。其の国の人男女並に椎結け身を文けて為人勇み悍し。是を総て蝦夷と曰ふ。亦土地沃壌えてひろし。撃ちて取りつべし」

これは、4世紀に実在したとされる第12代の天皇、景行天皇の時代に、東方を視察した武内宿禰(たけしうちのすくね)が言った言葉とされています。わかりやすくは、

東の未開の地に日高見国があり、その国の男女はみな髪を結って、体に入れ墨をして、人となりが勇ましい。これはすべて蝦夷という。また土地は肥沃であり、広い。攻撃して奪い取りましょう。

という意味です。他にも、いくつかの古書に日高見国の存在を暗示するものがありますが、それらにいまは触れません。いずれにせよ、これが事実だとすれば、日高見国もしくはそこに住んでいた人たちは蝦夷と呼ばれていたことになります。蝦夷は「えみし」と読みます。「えぞ」とも読まれます。もともと、漢族が東方の異民族を、「東夷」(とうい)と呼んでいたのが由来の、「夷」は蔑むために付ける蔑称(べっしょう)です。大和朝廷も東方に住んでいた入れ墨をした民族に対して、えびを意味する「蝦」に「夷」を付けて呼んでいたのでしょう。天武天皇の命で、第二皇子の川島皇子(かわしまのみこ)や第六皇子の舎人親王(とねりしんのう)を中心に、奈良時代の720年に完成したとされる日本書紀は、漢文で書かれており、中国大陸は唐全盛の時代ですから、唐の影響が色濃く反映していた時代背景は考慮する必要があります。

 私は科学者の端くれですので、どうしても科学的エビデンス(確固たる証拠・根拠)に基づき、その可否を判断したくなります。日本書紀に書かれているというだけで鵜呑みにはしません。特にエビデンスがないのであれば、そもそも興味など持たない話なのですが、最近、日本の各地で縄文時代の遺跡が発掘されて、最古のものは、約1万6千年前のものとされる、大平山元遺跡(おおだいやまもといせき)や、約5千年前に千年以上続いたとされる三内丸山遺跡は、いずれも現在の青森にあります。これを最近知った私は、縄文に興味が沸き、結果的には関連書籍を何冊も読みました。現在、蝦夷だったとしか知られていない東北地方の人たちですが、何か忘れ去られた?隠された?歴史があることくらいは、これら遺跡の発掘を知れば、誰でもそう思うでしょう。

 もう一つのエビデンスは、遺伝子解析です。すでに何度も書いているように、Y染色体ハプログループの分類で、日本人はD1a2aです。日本人固有のグループです。通称、D2と呼ばれています。そして最近の調査で、そのD2も日本列島では偏った分布になっていることがわかりました。東京大学の研究グループが発表した論文を紹介した日経オンラインに掲載された図を1枚拝借してきました。この図が示している深緑色の地域は、まさにD2遺伝子が濃い地域です。東北地方に偏っているのがわかります。これに関連して最近でも大規模な調査が実施されて、同じく発表されました。ただし、詳細には触れません。これらから判断すれば、大和朝廷が蝦夷と呼んでいた人たちは、もともと縄文人であったことくらいはすぐわかります。一方、図中の白い地域は関西や四国にあります。以前調べたのでは、こちらには大陸由来のO1bタイプが多いようです。もともと長江付近に住んでいた民族が持っていたタイプです。ちなみに、漢族はO2タイプで、O1bではありません。いずれにせよ、弥生時代に大陸から多くの人が渡来してきたことも本当でしょう。それについては、ここでは触れませんが、むしろ、ものすごく興味を持ったのは、現在の山陰、特に島根県と、鹿児島にD2が偏在しているところです。

 島根といえば、出雲大社があります。出雲大社は、古事記ではスサノオノミコトやオオクニヌシに関係したところで古代を語る上ではずせない場所です。もう一つは鹿児島ですが、いったい何なのでしょう。ニニギノミコトが天孫降臨したのは、日向の高千穂と古事記には書かれています。その場所の一つの候補が宮崎ですので、ここに近いです。これまで調べたもので鹿児島と関係があるのは、7300年前に大噴火した海底火山の跡地である鬼界カルデラです。噴火後に堆積した火山灰のために、千年以上も九州には人が住めなくなりました。噴火前には、九州にも三内丸山よりも進んでいたかもしれない縄文文明があったとされています。鹿児島におけるD2の偏在は、その大噴火の後からそうなったと誰でもわかります。出雲で発掘された土器などから、三内丸山とも海路で交流があった可能性が示唆されます。

 この図には示されていませんが、沖縄とアイヌの人たちもほとんどがD2を遺伝子に持っています。D2は日本人特有のタイプですから、よそから海を渡って来た人たちではありません。遺伝子タイプから判断すれば、縄文人が移動したものと推測できます。島根、鹿児島、沖縄などになぜD2が偏在しているのか?それが、日本の古代文明を読み解くため鍵であると私は思っています。