トラベル日本人再考日高見国

縄文の伝承・遠野

 昨年の夏に行った遠野にまた今年も行きました。リピーターになっています。昨年は主にレンタサイクルを借りて、カッパ淵や伝承館などに行きましたが、昨年は時間がなくて行けなかった遠野市立博物館を見てきました。本当は旅程の初日に行くため、花巻から釜石線で向かう計画でした。ところが、台風がまさに直撃して、釜石線が不通になってしまったために、計画を変更して、旅程3日目の午前に同じく釜石線で遠野まで向かいました。釜石線には何度か乗ったことがありますが、車窓から見える原風景が私は好きです。一面が田んぼで周りに山がある盆地です。昨年の遠野についてはこちらをご覧ください。

 遠野市立博物館は遠野駅からまっすぐ10分ほど歩いたところにあります。遠野といえば、河童、天狗、オシラサマ、そして座敷童子です。これらの民話が言い伝えられて、その話を祖父から聞いていた佐々木喜善氏が、柳田国男氏に話してまとめたものが遠野物語です。遠野物語には信じられないようなことがたくさん書かれています。ほら吹き爺さんの与太話だと思っていた私ですが、遠野市立博物館で見た佐々木喜善氏は、勉強ができそうなまさに好青年でした。それもそのはず、早稲田大学を卒業した小説家でした。

 遠野市立博物館に入ってまず目にしたものは、四季折々の食物をまとめた一つの絵図でした。これは、まさしく縄文カレンダーと同じです。非農耕型定住生活をしていた縄文人は季節ごとに獲れる食物を正確に把握していました。四季のある日本列島ならではのことです。やはり私の想像は間違っていませんでした。遠野の文化には縄文時代の影響が色濃く残っていると思っていました。遠野に語り継がれる民話は、縄文時代からの伝承であると私は確信しました。以前にも書きましたが、熊と猟師が出くわして、撃たれようかどうしようかと熊が考えているという話が言い伝えれています。そんなことあるわけないだろうと、今の人は思うでしょう。でも、縄文時代には、人は動物と以心伝心できたのかもしれません。縄文時代からの伝承が薄れ、生活スタイルも変わり、本来持っていた能力が失われてしまったとしたら、どうでしょうか?遠野に伝わる不思議な民話も、すべてとはいいませんが、本当だったと私は思っています。

 実際のところ、遠野でも縄文遺跡がいくつか発掘されています。様々な土器や遺物が見つかっています。たとえば、火焔土器のようなものから、埋葬するため子供の遺体を入れた壷型土器、そして勾玉でできた首飾りなど、三内丸山遺跡で見つかったものと同じ様な遺物が見つかっています。当時から東北地方で広く交易されていたことがうかがわれます。遠野が盆地で内陸にあるのは、釜石に抜ける道を通って、海岸から物資を運ぶ中継基地だったのかもしれません。幸か不幸か、内陸で交通が不便なため、大和朝廷のみならず、安倍氏や奥州藤原氏の影響もあまり及ばなかった(悪くいえば、身捨てられていた)ところだったのかもしれません。それがゆえに、縄文時代からの伝承が今も語り継がれているのだろうと私は思います。縄文時代そして日高見国の名残が感じられる、日本でも残り少ない原風景の遠野です。

 余談ですが、遠野のお土産といえば、「明がらす」というお菓子が有名ですが、遠野はビールのホップ栽培でも有名です。キリンビールの一番搾りにも使われているそうです。その遠野で地ビールを見つけました。名前が、「ズモナビール」といいます。たまたま、宿泊していた北上で入ったお店で飲んだのですが、名前が変わっているので店員に聞いてみたところ、「ずもな」は遠野の方言で、「~そうな」という意味だそうです。ズモナビールは遠野麦酒ZUMONAで醸造されており、「遠野のビールだそうな」と言ったところでしょうか。まさにこれも伝承です。実際のビールは、クラフトビール始め何種類かあるようでしたが、私は白濁のあるヴァイセンを飲みました。一番絞りもそれなりに好きですが、それとはまったく違った(越えた?)味と独特の香りがある美味しいビールでした。みなさんも行った時は忘れずに飲むか買うかしましょう。