人生について日記

真夏とセミ(蝉)

 今年はなぜか、道端で死に絶えたセミを多く見ます。通勤時に炎天下にもかかわらず、計50分くらい歩くのですが、昨日も3匹ほど見ました。セミの声がうるさい、カラスがうるさいといっている、オリンピックに参加した外国人選手?がいるようですが、たしかにカラスはうるさいですが、セミの鳴き声はまったく気になりません。というよりは、私にとっては、真夏の風物詩です。どの季節が好きかと聞かれれば、どんだけ暑くても夏が好きです。誕生日が8月ということもあります。今年の仙台も30度を超えて32~34度くらいになる日が続いています。昨日たまたま1番町商店街を歩いていたら、七夕飾りを準備していました。規模は縮小されるようですが、今日6日から3日間開催されます。雑木林から聞こえるセミの声、そして仙台七夕。私にとって夏のイメージです。

 セミの死骸が多いのは、今年は大量に発生したのか、熱すぎるのか、コロナにかかったのか、原因がよくわかりません。自宅の生垣になっているカナメモチにも、毎年セミの抜けガラが数匹ついています。カナメモチの地下に住んでいるようです。7年間、幼虫時代を地中で過ごし、地上に出てきて、たったの7日間、泣き続けて一生を終えるセミ。みなさん、どのように感じられますか?私は、地中で7年間も何をしているのか、何を食べているのか、よく飽きないな、といつも感じています。そして、成虫になって、どうして7日しか生きられないのか、ある意味、気の毒に思います。たった7日間で子孫を残すために必死で泣き続け、そして卵を産んで、死に絶える。羽化した幼虫は、誰に教えられるわけでもなく、地中に潜って、そのあと7年間、飽きずに生きる。どうやって時を数えているのでしょうね。

 セミにとって、地上の7日間というのは、いわば極楽浄土なのか、地下の7年間は千日修行みたいなのか、とにかく不思議でしょうがありません。地中でひと冬、地上でひと夏、生きていられるのであれば、他の昆虫と同じなのですが、このようになったのは、何か深い進化の歴史があったのでしょうね。我々の人生も実はセミの幼虫時代と同じで、死んだら、セミの成虫のような極楽浄土を経験するのか、それとも今が、セミの成虫時代で、生前がセミの幼虫時代だったのか、暑さのせいか、妄想を抱きながら、セミの気持ちが知りたいと思ってしまう、真夏の一日でした。