お散歩コース紹介仙台再発見

新寺小路と五重塔

 就職してすぐの4年間、駅裏に住んでいました。いま、駅裏と呼ぶ人はほとんどいません。駅東口になります。逆に、「駅東口」と言われると、表か裏かいまでも戸惑うことがあります。駅裏に住んでいたのは、表と裏では家賃が1万円違うからです。仙台駅裏すぐにある10階建てのアパートの8階に住んでいました。当時駅裏は必ずしも治安が良いところではありませんでしたが、私は特に気にしませんでした。ただ、私の住んでいた8階には、「その筋の人」も住んでいました。いまは、駅裏の方が表よりも整備されて、表のようです。そんな駅裏ですが、実はこれまでもほとんど興味がなかったので、ましてその歴史など知る由もありませんでした。仙台古地図を入手するまでは。仙台駅東口には、榴岡公園や楽天球場がある宮城野まで、りっぱな宮城野通が整備されました。歩道には、四ツ谷用水を模したのか、水路や噴水の出るオブジェがたくさんあります。

 まずは現在の地図をGoogle Mapから頂戴しました。地図中の宮城野通の右側歩道を榴岡公園に向けてしばらく歩くと、「つけ麺おんのじ」というラーメン屋があり、その手前にある小道の先を見ると、榴岡四丁目公園越しに五重塔が見えます(図中のカメラマーク)。ご存じでしたか?駅東口にはビルがぎっしり建っているので、仙台駅からは見れません。いわゆる、穴場スポットに当たります。

 もともと仙台駅などない時代には、この辺りにはたくさんの寺院がありました。その中でも別格の寺院が、「孝勝寺」です。例によって、天和3年の古地図からも切り抜いてきました。図中の東七番丁通が、現在の仙台駅東側すぐにいまでもある通りになります。図中の真ん中右辺りに、ひときわ広い敷地の孝勝寺があります。孝勝寺の由来についてはネットですぐ調べられますので、ここで詳細には触れませんが、伊達家一門格の日蓮宗の寺院で、名前が、「大仙寺」、「全勝寺」と代わり、その後、伊達家二代目忠宗公の正室である振子姫が亡くなり、法号が「孝勝院」となり、この名が付けられたそうです。

 現在の地図に記した「孝勝寺正門」に行くと、正門が東側に見えます。実はこの正門は、嘉永(1848-1855)の間に仙台城の山門が移設されたものです。孝勝寺は幾度かの火災で全焼もしましたが、幸いこの正門は火災を逃れて、寺は再建されて今日に至っています。ちなみに、五重塔はごく最近2003年に建立されたものです。どおりで住んでいた時には見たことがなかったわけです。

 古地図を見るとわかりますが、孝勝寺南側にある新寺小路や連坊小路沿いには、たくさんの寺院が並んでいます。新寺小路は現在、新寺通になり、道が拡張されて自動車道になっていますが、現在でも寺院が連なっています。新寺通は歩きにくいのですが、あまり目立たないところに、古地図には記されていない遊歩道があります。現在の地図中に緑の点線で示した、「新寺小路緑道」です。私は以前から知っていたので、何度か歩いたことはあります。こちらもあまり知られていない、穴場スポットかと。ただし、お寺沿いにある歩道なので、はっきり言って、歩道から見えるお寺の中はお墓だらけです。ですので、敢えて写真は撮りませんでした。むしろ、京都などでお寺沿いの道を歩くのが好きな人にはお勧めの歩道です。人はほとんどいません。まして観光客は知らないでしょう。

 そんな歩道を歩いていたら、ジンチョウゲやキンモクセイに劣らない強い香りが漂ってきました。低木に咲いている白い花の香りです。どことなくココナッツのような香り?その時は花の名前がわからなかったのですが、後で調べたら、「くちなし」でした。渡哲也の「くちなしの花」が脳裏で流れました。「旅路の果てまで付いてくる」ほどの香りではありませんが、いまたくさん咲いています。好きな方はぜひとも、「いま」歩いてみてはいかがでしょう。

 最後に一つ、新たに疑問点が浮かび上がったことがあります。榴岡天満宮は以前も書いたように、仙台六芒星の頂点の一つになっています。榴岡天満宮のホームページによれば、何度かの遷宮を経て、寛文7年(1667)に今の場所に鎮座したとあります。ところが、天和3年(1683)の地図にはどうも載っていません。ありゃりゃ、どうしたことか。榴岡天満宮の宮司に聞いてみるか、それとも触らぬ神に祟りなしか、とりあえずペンディングということで、エンディング?