俯瞰と集中俯瞰力について処世術について

俯瞰と集中

 自動車・バイクの音がうるさい、親がうるさい、子供がうるさい、隣近所が迷惑、上司がうざい、部下の出来が悪い、電車が混みすぎ、体のあちこちが痛い、などいろいろ気になることが多い世の中です。とにかく、周りが気になって仕方がない人もおられます。精神疾患、いわゆる適応障害もありますので、そのような場合にはしかたありませんが、そこまでいかなくても、周りが気になって、イライラしてしまう世の中です。糖質過多の方もそうなりやすいので、糖質の取り過ぎには注意が必要ですが、周りが気になる人は、自分がどう見られているか気になってしかたがないようです。アドラーがいっているように、自分が気にしているほど、周りは気にしていないものです。2年以上もマスクを付け続けたので、すでに顔パンツになってしまい、恥ずかしくて外せない? 失礼ながら、あなたの顔だけでなく、みなさん、他人の顔はチラ見しているだけではありませんか?失礼ながら、あたなの顔など誰も気にしていません。

 もしかすると周りが気になる人は周りを俯瞰しているのでしょうか? 残念ながら、それはないでしょう。結論からいえば、周りがよく把握できていないから、気になってしかたがないのでしょう。人間、物事に集中すると、不思議なことに他のことが気になりません。さっきまで気になっていた道路工事を音が、ゲームを始めた途端、全然耳にも入ってきません。周りの音が気になる人はその時、たぶんその音に「集中」してしまっているのでしょう。逆に言うと、その音以外は聞こえてきません。隣で泣いている猫の声が気になると、別の隣で泣いている犬の声が聞こえません。まさに、俯瞰とはまったく真逆なことが頭の中で展開されています。周りの音を俯瞰して聞いていれば、その中の一つの音としてしか存在しませんので、全体がうるさいならばいざ知らず、そんなに気にするものではないはずです。

 なにかに集中しようとしているときに、ついつい他のことに気が向いてしまう。これは気が散っている状態です。ほとんどの場合、これから集中しなければならないことが必ずしも好きではないか、むしろ嫌いな場合が多いでしょう。集中と俯瞰はある意味、真逆な行為かもしれません。それでは、集中できる人は俯瞰できないのか、俯瞰できる人は集中できないのか?残念ながら、俯瞰できない人は集中もできないでしょう。一つのことに集中して、それ以外の事が気にならないのではなく、あることに集中しようとすると、他のことが気になってしまい、あることには集中できないのに、他のことで気が散ってしまう状態に陥ります。なぜそうなってしまうのでしょう?その答えは意外と簡単です。要は集中しようとしている事に興味が沸かないからです。何度も出てくる、「好きこそ物の上手なれ」です。でも、嫌いなことも時としてはやらなければなりません。仮に、勉強が嫌いでも、受験勉強はしなければなりません。上司からの命令は嫌でも、引き受けざるを得ません。

 物事に集中出来ない人は、それが鼻から嫌いであると決めつけているのではないでしょうか?なんで嫌いと思うのか?面倒くさいから?やる意味を見いだせないから?別のことをしたいから?とにかく疲れているから?理由としてはいろいろあるでしょうが、概して、その物事の1m四方くらいしか見えておらず、10m、100m先が考慮されていないように思います。なぜ受験勉強しなければならないのか?それは自分が将来なりたい職業に就くため。なぜ上司の言うことを聞かなければならないのか?それはいずれ自分が会社を支える立場になるため?なぜ子供の面倒を見なければならないのか?それは自分がいずれ子供にお世話になるため?なぜ宿題をやらなければならないのか?それはその後に楽しいゲームをやるため?書いていたらキリがありませんが、これから集中しなければならない事が、必ずしも好きではないことだとしても、他の好きなこととリンクして、いずれそれをやるためだと考えれば、見方も変わってくるはずです。それができるか否かも俯瞰力に関係していると私は思います。