お散歩コース紹介仙台再発見日記

作並街道と四ツ谷用水

 四ツ谷用水の取水口が広瀬川上流の郷六(ごうろく)というところにあるということで、3月16日(土)に見に行ってきました。その前に、これまで、「四ッ谷用水」と書いていたのですが、正確には「四ツ谷用水」でした。何が違う?「ツ」の大きさが違います。それから、辻標が69ヶ所あると書いていましたが、正確には88ヶ所でした。私が引用していた資料が69ヶ所だったので、そのまま使っていましたが、仙台市の市制施行88年を記念して88ヶ所が指定されていました。私の引用していた資料がどうして69ヶ所なのかはわかりませんが、念のため、付記いたします。

 さて、まずは郷六から北四番丁辺りまでのGoogle Mapにいくつか付記したマップを示します。赤い実線が四ツ谷用水の本流で、赤い点線がそこから引いた支流に当たります。

 地下鉄南北線北四番丁駅で降りて、近くのバス停からバスに乗って、現在、仙台村田線と呼ばれている国道31号を通って郷六まで行き、降りました。近くには仙台市葛岡墓園がありました。徒歩で帰れる距離ではありませんので、帰りもバスで帰ることにして、目的の場所まで行きました。川沿いにある細い道を進むと取水口と思われる場所がありましたが、そこは現在、仙台市水道局が管理する工業用水の取水口になっていました。平成3年に設置されたようです。柵で覆われたその場所の川沿いに、人が歩いたと思われる細い獣道?のような下り坂がありましたので、滑りそうになりながら降りたところ、そこには四ツ谷堰がありました。そこから一部の流れが取水口に入り、その量を調整するために、余計な水量を川に戻す小さな堰があり、勢いよく水が川に戻っていました。この場所から、四ツ谷用水の本流に水が流れていっているようです。帰ろうと振り返ったら、取水口の壁に注意書きが貼ってありました。悪い子でした。良い子は真似をしないように。平成28年に土木学会から四ツ谷用水が土木遺産に認定されたときの碑も置いてありました。写真も撮ったのですが、あいにくピンボケになってしまい、載せるのは止めました。

 帰りのバスを20分ほど待ってから、バスに乗り来た道を戻り、今度は大崎八幡宮の前で降りました。以前、この下の方にある角五郎というところに住んでいたことがありますので、大崎八幡宮にも何度が来たことがあります。ただし、神社についてはまた後日改めて書きたいと思います。その大崎八幡宮の国道直ぐに赤い鳥居が立っています。その鳥居の左下に、辻標六十番がありました。辻標には、作並街道と八幡町と記されています。国道31号線は昔、作並街道であったことがわかります。作並は仙台では有名な温泉地の一つです。作並温泉まで、昔この道を歩いて行っていたのでしょうか?現在はJR仙山線で行くことができます。

 赤い鳥居をくぐって少し進むと、本来の鳥居が見えます。そしてその鳥居の少し先の下辺りに小さな橋が架かっています。この橋が四ツ谷用水に架かっていた橋になります。橋から見えた四ツ谷用水路にはコンクリートで蓋がされていました。この中を、郷六から取水した水が流れているものと思われます。

 四ツ谷用水があったと思われるところを歩いてみました。その場所は作並街道から少し坂を登ったところにあります。この坂は、中町段丘の縁に当たるところにある坂であると思われます。用水路には蓋がされたり、すでに草むらになっていたり、周りには普通に住宅が建っていました。この場所の四ツ谷用水も、中町段丘の縁を利用して造られたのかどうなのかは、まだよく調べていません。

 用水路跡を歩いていったところ、途中行き止まりになってしまったので、道路側に戻ったら、そこには辻標三十八番がありました。そこには、覚性院丁(かくしょういんちょう)と石切町と記されていました。いずれも聞き慣れない名前だったので、調べてみました。すると、覚性院は江戸時代末期まであったお寺のようですが、例によって、廃仏毀釈によって、明治に廃寺になった模様です。また、お城に出入りしていた石切職人がこの辺に住んでいたことから、石切町と名付けられていたようです。辻標の向かいには、小梨石材店という昔からありそうなお店がありました。また、この辻標がある通りは、元々は東六番丁通だったようです。

 元東六番丁通だった道を東に進むと、土橋通にぶつかります。土橋通の先には現在の東六番丁通があるのですが、元東六番丁通とは微妙に位置がずれています。たぶん、これは四ツ谷用水が関係しているように思いますが、はっきりとは調べてはいません。この地点から土橋通を下りました。昔はそこに四ツ谷用水の第一支流が流れていましたが、現在は埋められてしまったようです。それに沿って少し下まで降りると、また国道31号線に戻ってきます。現在は十字路があり、澱橋に至る広い道があります。最近に道が拡張整備されました。道が整備される前は、澱橋側から来る車は十字路の手前で左折して、わざわざ迂回しないと国道31号線に出ることができませんでした。変な所だと前から思っていたところです。

 その変な所に輪を掛けて、土橋通はこの十字路の道ではなく、南東に傾いた狭い道になりますが、現在は繋がっていませんので、車は直接向かうことができません。そして、東側にある高層マンションの横で途絶えます。実は、四ツ谷用水の第一支流はここを通り、その後に北三番丁通に曲がっていることがわかりました。ここからわかったことは、元々四ツ谷用水の第一支流が流れる土橋通が作並街道と交叉していて、その周りに住宅ができていたのでしょう。そこに無理矢理、澱橋に通じる道を整備しようとしたが、土地の地権者がなかなか土地を手放さなかったために、そこを迂回して通らなければならなかったのだということかと。

 さて、最後に今回のお供は、これまたレアなSoligor 35mm F2.8にしてみました。どうもミランダで使われていたレンズのようですが、ネットで探してもこれに当たる説明を見付けることができていません。見付けた時にまた書くことにします。これも50年近く前のレンズだと思いますが、特に癖もなく、よく写っていました。ただ、オールドレンズは、どちらかといえば、綺麗に写るよりは癖のある写りをみなさん期待していますから、その意味ではあまり面白みがないかも。