下宿、あ、法学部回想録

下宿、あ、法学部

 大学2年から博士課程後期を修了するまで、8年間の長きにわたり、賄い付きの下宿でお世話になっていました。下宿のおばさんにはいまでも本当に感謝しています。1年のとき、仙石線という路線で実家から電車通学していたのですが、片道賞味2時間はかかっていました。さすがにその生活には無理があることを理解して、2年のときに仙台市内で一人暮らしを始めるためアパートを探し始めました。ただ、予算などの兼ね合いからなかなか適当なところが見付からず、ダメもとで、大学生協が斡旋する物件を当たっていたところ、月5万円の朝夕食事付きの下宿がまだ残っているのに気が付きました。場所によっては家賃だけでこの値段のアパートもたくさんある中で、どうして残っているのか気にしつつ、まずは見てみようと、その下宿を訪ねました。場所は片平キャンパス北門のすぐそばで、一番町通から少し奥に入った2階建ての民家です。ここはまさに仙台の一等地です。なんでこんなところにある下宿がまだ空いているが不思議に思いながら、近づいてみると、結構古そうな木造の民家であることがわかり、たしかに皆さん敬遠するなと理解しました。

 それでも、せっかく来たので、中を見せてもらおうと、呼び鈴を押して待っていたところ、中から出てこられたのは、一人もおばさん、というよりもおばあさんでした。誰でも一度見れば、すぐ人柄が伝わってきそうな、とても優しそうなおばあさんが下宿のご主人でした。その印象は結局、8年後に退居するまで変わりませんでした。そのときの下宿人は、私を含めて、4名おりました。そのうち2名は片平キャンパスに通う年配の助教授の先生と、若手の助手の方、それから私の部屋の隣に司法試験を受験するために下宿していた大学の卒業生です。もともと、戦後間もないことから同じ場所で下宿を始めたらしく、最盛期には大勢の下宿人がおり、のちに偉くなった先生などもおられるということを、宿帳のようなものを見せてもらい、教えてもらったことがあります。まず驚いたのは、片平キャンパスに通っていたふたりの先生は、私とは生活がまったくひっくり返っていたことです。私が下宿で夕食を食べるころに、職場に出かけ、私が朝食を食べるころに、帰宅するという、ある意味規則正しい生活を送っていました。当時片平キャンパスは研究所のみでしたので、そのような生活が可能だったようです。会議が増えたいまでは考えられません。

 司法試験勉強中のKさんに、初めて行きつけのバーに連れて行ってもらい、自己紹介などをしました。Kさんから、「私は法学部出身で、現在司法試験を受験するため下宿している」と言われたので、私は、「あ、法学部ですか」と何気に返事をしたら、「あほう(阿呆)学部じゃない」と、即答されたのをいまでもよく覚えています。幸い、怒っていたわけではなく、むしろよくそう言われるとのことでした。