ミュンヘン40日その2回想録

ミュンヘン40日その2

 ホテルから大学まではバスでの往復でした。ちょうどトラムを大学まで延長している最中で、近々開通する予定だったようです。バスは確か現金でも乗車できたようですが、私は定期券のようなものを購入して利用しました。バスの中でまず感じたことは、乗客が静かであることです。日本ではむしろ普通のことですが、たとえば、アメリカとか中国などですと、大きな声でしゃべっている乗客もいるのですが、ドイツは違いました。もう一つ特徴的だったのは、女性の服装です。スカート姿の女性はほとんど見られず、パンツ(長ズボン)姿がほとんどでした。おまけに体格のいい女性が多く、私も身長180cmあるのですが、私より大きな女性も結構いました。男性はさらに輪をかけて、大柄の方が多かったとの印象です(単に大柄の人が目についただけかもしれません)。こんなことを言うと失礼になりますが、ドイツ人女性は、かわいい、というよりはたくましいという印象でした。

 ミュンヘン工科大学は、移転して間もないらしく、現代的な建物ばかりでした。あと大学敷地で目についたのは、日本でいえば高級車のBMWの多さです。どうもBMWは大学教授ご愛用の車のようです。でも、ドイツでは特に高級車というよりは、道路でも結構たくさん走っているむしろ大衆車でした。ポルシェなどに乗っている先生もいないのか見渡しましたが、ほとんど見当たらず、聞いてみたところ、ドイツでポルシェに乗っているのは、いわゆる成金オヤジや御曹司が多いようで、あまり良い印象を与えていないようです。私がお世話になったS先生は、もともとカールスルーエ工科大学にいたのですが、私が滞在する1年前ほどにミュンヘン工科大学に移り、カールスルーエから単身赴任状態でした。研究室はいわゆる大講座制で複数の教授が共同で運用しており、学生もたくさんいましたが、何人だったかよく覚えていません。覚えている学生は、ドクターコースの二人です。一人は、アメリカからの留学生のG君で、もう一人は名前も忘れてしまいました。でももう一人をなぜ覚えているかというと、日本からVAIOのノートPCと外付けのDVDディスク装置を持参したのですが、外付けのDVDに驚愕していました。恐るべき日本の技術と。言われて気づいたのですが、当時の家電技術はまだ日本が世界をリードしていたのでした。

 居室はガラス張りの斬新な設計で、その中にある一つのデスクを使わせてもらいました。向かいにG君がおり、滞在中G君には結構お世話になりました。G君も、もともとカールスルーエにいたのですが、S先生の異動に伴ってミュンヘンにいわば単身赴任中でした。学生なのになぜ単身赴任かというと、実はG君はアメリカから留学してすぐ、カールスルーエの地元の女性を射止めて結婚していました。まあ日本でもそのような留学生は過去にもおりましたが、手が速いのか、いさぎよいのか、それはともかく、家族(奥さんと1,2歳のお子さん)はカールスルーエに住んでいて、週末に3時間程度かけて帰宅していたようです。私も滞在の後半に、G君の車でカールスルーエまで行って、奥さんとお子さんにお会いして、食事もごちそうになりました。さらに、カールスルーエ市内の観光やハイデルベルクへも案内してもらい、ザッハトルテがおいしいお店があるということで食べたことを覚えています。

 G君はその後、無事に博士号を取得して、ANSYSというソフトウェア会社に就職したはずですが、現在交流はありません。奥さんはカールスルーエを出たことがなく、ドイツにいたいと言っていましたが、どうもアメリカに移住したようです。

ミュンヘン工科大学キャンパス