俯瞰力について日本人再考鬼界カルデラ

鬼界カルデラ

 縄文遺跡はどうして東北地方に多く分布しているのか? それは3万年前に確立された日本人特有の遺伝子を持った民族が、まだ大陸と陸続きだった日本に大陸北方から移動してきたことから、東北や北海道に広く分布している。2万年前から始まった気候の温暖化で、東北地方はいまより3,4度気温が高かった。これらが大きな理由であると理解していました。でも気温だけみれば、東北地方よりも当然ながら九州の方がもっと暖かいはずです。その疑問に答えてくれそうな新たな知見を見つけました。鹿児島沖に「硫黄島」があります。小笠原の硫黄島との違いは、読み方で、それぞれ、「いおうじま」、「いおうとう」です。その付近には海底火山群があり、その代表的な一つに「鬼界カルデラ」(別称、鬼界アカホヤ)と呼ばれる、いかにも不気味そうな名前の海底火山があります。最近の地質調査で、この火山が約7300年前に大噴火を起こしていたことがわかりました。噴火の火山灰は東北地方にまで届き、九州では30cm以上積もり、さらに火砕流を伴う大規模津波が九州を初め、海岸を襲っていた形跡が発見されています。

 実は九州にも縄文人がたくさん住んでいて、三内丸山遺跡の縄文人よりも、さらに進んだ文化を持っていた可能性が示されています。ところが、この約7300年前に起きた大噴火で、九州の縄文人は絶滅状態になり、生き残った人も九州には住めなくなり、各地に移動を余儀なくされてしまったことがわかってきました。30cm積もった火山灰は、植物や動物を絶滅させてしまい、その後、約1000年近くに渡って九州には人が住めなくなってしまったようです。再度住み着き始めた縄文人は、先の縄文人の文化は受け継いでいませんでした。地震、津波、火山噴火、洪水、などの自然災害が不定期で襲ってくる日本では、最悪の場合、その時の文明を破壊してしまうほどの威力があることを物語っています。沖縄に縄文人の遺伝子を持った人たちが多く住んでいることがわかっていますが、私はこれで納得しました。

 伊豆半島はもともと約2000万年前は、硫黄島付近の海底火山群の辺りにあって、フィリピン海プレートの移動とともに、今の位置に本州とぶつかったことがわかっています。さらに九州も、中央構造体で分離された二つの島だったものが、約9万年前に始まった阿蘇山の噴火による灰や溶岩で、埋められて一つになったこともわかってきました。日本という国が、いかに自然との深い関係の中で形づくられていったのかを、改めて思い知らされます。古事記に記された暴れん坊の須佐之男命(スサノオノミコト)は火山を象徴し、そのスサノオに退治された八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が、氾濫していた河川を象徴し、スサノオの子孫である大国主命(オオクニヌシ)の化身とされる大物主命(オオモノヌシ)が、三輪山に祀られている辺りも関係しているのでしょう。全国には山をご神体にした神社がたくさんあります。縄文時代に育まれた八百万の神信仰にも、自然災害が深く関わっていることが再認識されます。

 移動を余儀なくされた縄文人は、本州、朝鮮半島、大陸、沖縄、さらにその南に、海を渡って移動したことは容易に想像されます。その後、どうなったのか? 残念ながら、まだはっきりしたことはわかっていません。派生したいろんな説はたくさんあります。たとえば、約6千年前辺りにチグリス・ユーフラテス川の河口に住み着いたシュメール人、約7千年前に長江付近を発祥する民族、アメリカ大陸の原住民、などが実は縄文人であるとか、さらには、漢字の始まりは神代文字(ひらがなの原型)だとか、稲は日本から長江に伝わったとか、他国からすればとんでも話もあります。でも、他国も日本からすればとんでも話をしていますから、お互い様でしょう。いずれも完全否定はできません。それをもとに喧嘩になるのは困りますが、話を盛り上げるだけならば、どんどんやったらいかがでしょう。