回想録日記

青葉山

 1980年4月に東北大学工学部に入学して、3年生の1982年4月から今日まで、青葉山の機械系に通い続けました。四十四年になります。よくも半世紀近く通ったものです。そして、あと3日で定年退職ですが、出勤は昨日で終わりました。研究室にあった物品も、譲渡したり、処分したりして、捨てるものはすでにみんな捨てました。後は自宅に持ち帰る荷物だけになりました。私の居室は25平米ですが、本棚をすべて処分した空間を見ると、こんなに広い部屋だったのかと、少し驚きました。建物の3階にありますが、窓からはケヤキが見えます。2004年に入居したときは背丈が部屋までの高さくらいだったものが、いまは、4階まで大きくなり、夏は窓側がその陰で覆われてしまうほどです。ケヤキの中を飛び交う鳥が見えて、窓際に止まっている鳥を間近で観察もできました。ただし、その中にはカラスもいます。

 青葉山の工学部にはその真ん中を貫く東西の道路があります。その道路沿いの両側にケヤキが並んでそびえ立ち、現在は巨木と化して、上部では両側のケヤキが重なり合うほどです。夕方には道路のちょうど西側に夕日が沈み、晴れの日は空が段々黄昏色のグラデーションに染まり、ケヤキが影絵の様に見えます。帰宅時に見る私が好きな景色でした。一方、朝は西側にある地下鉄東西線の青葉山駅から東にある機械系に10分ほど歩きますが、ケヤキが新緑になる初夏には、東方向に連ねたケヤキが壮観です。ケヤキは道路両側にある歩道の真ん中にありますが、その歩道も、震災後には広く綺麗に整備されました。ただし、中央から西側の歩道は坂道になっているので、いまでも冬に雪が積もると、歩くのは要注意です。

 震災では、多くの建物が全壊扱いになり、建て直されました。機械系の建物は、幸か不幸が、全壊には至らず、震災後にも起きた何度かの地震の後に、外壁や内壁が修復されて、今日に至っています。つい数日前までも、私の居室がある建物の外壁が補修されていました。青葉山の中央にある建物の周りには芝生が植えられ、定期的に綺麗に芝刈りされたり、歩道も毎日のように掃除しているので、青葉山にはゴミはほとんど落ちていません。よく整備されていると感心しています。昔は、バス、バイク、自動車でないと、青葉山に通うのは厳しかったのですが、地下鉄東西線が出来てからは、地下鉄沿線から通う学生の数も年々増えています。また、電動アシスト自転車で青葉山に通う学生なども見かけるようになりました。

 地下鉄東西線が出来る前は、バスで仙台駅から青葉山まで通勤していたのですが、ある日、帰宅時にバス停で待ち、バスに乗って席に座っていたら、持っていたカバンがガサガサ音を立てるので、驚いてカバンの下を見たら、なんと、蝉の幼虫が爪を立てて歩いていました。それを見てさらに驚いたのですが、乗ったばかりのバスを坂の下にある次のバス停で降りて、近くにあるケヤキの木に戻してやったことがありました。夏場の青葉山は蝉の大合唱です。ケヤキが植えてある地下には、たくさん蝉の幼虫が住み着いているのでしょう。蝉の鳴き声は、日本人とポリネシア人以外には騒音にしか聞こえないそうですが、アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシなど、時期をずらして、いろんな蝉の声が聞けるのも、私には夏を感じる風物詩でした。そんな自然豊かな青葉山をこれからも大切にしていただきたいと思います。毎日見ていた青葉山も、これからはたまにしか見ないでしょうが、見るたびに、むしろ、より季節を感じるのかもしれません。