健康について回想録野菜が嫌いだった

野菜が嫌いだった

 国語が嫌いだったに続く、第二弾になりますが、高校生までの子供の頃は、とにかく野菜が嫌いでほとんど食べませんでした。特に玉ねぎやニンジンが嫌いでした。シイタケも嫌いでした。魚も嫌いで肉ばかり食べていたように記憶しています。ただ、肉も豚肉のあぶら部分は嫌いでした。小学校では当時、給食で嫌いなものを残すことができず、食べるまで終えることができませんでした。あぶらの多く付いた豚肉で吐き気をもよおしながら飲み込んだり、吐き出してチリ紙(今でいうティッシュ)に包んで家に持ち帰ったこともありました。話はそれますが、当時の給食では、ミルクは脱脂粉乳で、パンはほぼコッペパンです。今から思えば、よくもあんな不味い脱脂粉乳ミルクを飲んでいたものです。味などありません。白い粉水みたいなものですね。コッペパンには、日替わりで付くマーガリンやジャムを付けて食べていましたが、稀に揚げパンやソフトメン(茹でる前のうどんに肉みそのようなものを付けて食べる)の日があり、日頃があまりにも味気ない内容だっただけに、特別感を感じていたものです。最近の給食は、ご飯やデザートも付いているようで、昔に比べれば、格段によくなっています。

 高校のときに、部活でバスケットをしていたこともあり、いくら食べても全然太りませんでした。2校目の授業が終わった休み時間に母親に作ってもらった弁当を食べて、昼には購買部で買ったパンを食べていました。ほぼ毎日肉とご飯だけ食べていても特に気になることはなかったのですが、いまから振り返ると、時々下痢になっていたのが思い出されます。たぶんこれは、野菜不足などから腸内細菌の活動が悪かったためではないかと思います。一方で、小さい時から甘いものが大好きで、特にぜんざいやようかんが好きでした。そのため、母親はよく小豆を煮て、ぜんざいを作ってくれました。なんでそうなったのかについては、記憶がないのでよくわかりませんが、どうも物心がつくころにはすでに甘いものが好きだったのかもしれません。たぶん、またまた最初に食べたぜんざいを、さぞかしおいしそうに食べていたことに、母親が便乗したのではないかと想像します。後から異常だと気が付いたことがありますが、それは、ようかんはスティック状で包み紙に囲まれていますが、小学生の頃、ようかんはそのまま丸かじりするものだと思って食べていたことです。スティック状のようかん1本をよく完食していましたが、それを友人などに話したら、それは異常だと言われ、おかしな習慣に気が付きました。

 大学生になり、酒を飲むようになり、私の嗜好はほぼ180度変わりました。甘いものは以前のように「大」好きではなくなり、肉もそれほど食べたいとも思わなくなり、それまで嫌いだった野菜やきのこ、そして魚が好きになりました。なかでも、キャベツ(味噌を付けてそのままかじったり、みじん切りにしてマヨネーズを付けたり)は食べだすと止まらなくなります。また、すき焼きに入れたネギやシイタケ、焼いた玉ねぎやこれまたシイタケ、サバやいわし、さんま、などの青魚などが好きになって今に至っています。酒の威力はすごいものだと感心します。現在、好き嫌いはほとんどありません。唯一、牡蠣がだめです。というよりは食べないことにしています。もともと牡蠣は好きでしたが、飲み会で出た牡蠣にあたったことがあります。たまたまだろうと思い、気にしないでまた食べていたのですが、ある時、またあたりました。二度あたると、もしやという気持ちが芽生えたのか、その後食べたときにもまたあたりました。さすがに三度あたると、これはいかんということになり、現在食べないことにしています。牡蠣の産地が近くにあるのに、食べられないのは無念とした言いようがありません。ちなみに牡蠣にあたったときの症状はすさまじいものがあります。胃がけいれんして、大きさが10分の1くらいに収縮したような感覚に襲われて、強烈な吐き気をもよおします。