日本人再考遠野と縄文そして現代

遠野と縄文そして現代

 ひさしぶりに、規制のないゴールデンウィークで、出かけられる方もおられるかと思います。私は大学側がいまだに県をまたいだ移動を規制していることから、特にどこかに出かける予定はありません。たぶん、シミュレーションゲームと種まきの連休になりそうです。さて、今回は遠野の話をしたいと思いますが、観光地でも人気の場所ですので、行かれた方もおられるでしょう。その「遠野物語」は、名前だけでも聞いたことはあるかと思います。柳田国男が、地元に住んでいる佐々木喜善さんから聞いた話をまとめた本で、明治42年に初版が出版されたのですが、最初は三百冊くらいしか印刷されず、主に親戚や関係者にだけ配布したそうです。なんで、いきなり遠野物語か、ですが、研究室のスタッフが遠野に旅行に行った際に買ってきた、「「遠野物語」ゼミナール2008講義記録」という本をお借りして読んでいたら、いろいろインスピレーションが広がったからでした。実は昔、「遠野物語」を買って読んだことがあるのですが、文語調(というよりは方言まじり)の文章になれず読み疲れてしまい、途中で読むのをやめた記憶があります。遠野にも一度だけ行ったことがあったのですが、ご多分にもれず、「河童」や「ザシキワラシ」程度の知識しかなかったため、特に興味を持ってはいませんでした。ところが、この講義記録を読ませてもらい、遠野物語の時代背景がわかり、最近、縄文にも興味があったこともあり、遠野物語で語られているのは、まさに縄文からの伝承であると確信しました。

 昔買った「遠野物語」はすでに捨ててしまっていたので、改めてKindle本(Unlimitedでタダ)を購入して、読み直してみました。初版から25年経って再販されたもので、最後のところには三島由紀夫の書評もありました。佐々木さんが語った内容であるとの前提で読み直してみると、あまりにもリアルな内容であることが再認識されて、ザシキワラシ(ザシキボッコ)、天狗、河童などがたくさん出てくるのですが、遠野の住民の名前なども出てきて、ほら吹きが作り話をしているのにしてはあまりにも具体的すぎる内容です。事象が起こったところの地図などもありました。遠野に伝わる、単なる妖怪やお化けの作り話が書いてある程度にしか認識していなかった「遠野物語」が、作り話なのか、事実なのか、ついつい錯綜してしまいます。柳田国男はもともと富国強兵などを進める明治の典型的な官僚で、都会的なものの考え方をする人だったようですが、遠野を訪れた際に聞かされ話や見た風景に、ある意味でカルチャーショックを受けて、この世界を都会の人間にも教えなければならないという信念で、「遠野物語」を執筆したことを知りました。柳田国男が遠野で感じたことを、私も遅ればせながら感じたのかもしれません。

 ゲゲゲの鬼太郎に出てくる妖怪は、いわゆる異界(パラレルワールド?)に住んでいますが、天狗、河童、ザシキワラシなども異界に住んでいるとゼミナール2008講義で説明されていました。これらが住んでいる場所は、山であり、淵であり、座敷であり、これらの場所には特に異界が存在するのだそうです。民俗学の研究では遠野物語と宮沢賢治の接点についても議論されているようで、宮沢賢治は民話に基づく同じような妖怪の話を童話の形で語っています。たぶんこのような妖怪の話は、遠野だけでなく、他の東北地方などにもあり、縄文の時代から語り継がれてきたのでしょうが、あいにく、柳田国男や宮沢賢治のような、いわば伝承者がおらず、忘れてさられてしまったのかもしれません。遠野地区は昔から交通の便が悪く、鉄道ができるまではほぼ孤立した集落であったため、それゆえに縄文からの原風景が保たれていたのかもしれません。昔から狩猟が続けられ、イノシシやクマなども捕獲していたようですが、その際には採る範囲を限定して、毎年その場所を変えていたようです。これは、むやみやたらに捕獲するのではなく、自然と共生しながら、持続可能な生活を実現していたわけです。縄文カレンダーにあるように、季節ごとに捕獲・収穫する動物や食物を変えていた縄文時代からの非農耕型定住生活に繋がるものを感じます。

 さらに、妖怪や異界などの話は、縄文から培われてきた、「八百万の神」信仰に繋がるものを感じました。自然や動物すべてに神が宿り、良い神をあれば、悪い神(貧乏神、疫病神)や、いたずらをする神、などいろんな神の存在を信じて(もしくは本当に触れて)、それらが、異界や、天狗、河童、ザシキワラシなどに繋がっていると私は理解しました。現在では考えられない逸話の一つとして、猟師と出会った熊が、襲いかかろうか、撃たれようか、迷っているというような解釈は、なかなか現代の我々には理解しがたいことであり、死に対する考え方も、縄文では根本的に違っていたのかもしれないと、いろいろインスピレーションが湧きました。江戸末期から、イギリス、フランス、オランダ、そしてアメリカなどの外国資本がどんどん日本に入ってきて、明治になって、外国に遅れじと富国強兵の号令のもと他国との戦国時代へと突入していった日本は、だんだん外国の思惑にはめられて、アメリカにまで宣戦布告して(させられて?)しまい、最後には打ちのめされて、その「大きな後遺症」がいまでも続き、ほとんどの日本人は、遠野にあった日本の原風景と縄文からの精神をすっかり忘れてしまったのでしょう。