処世術について言うべきことは言う

言うべきことは言う

 会議などでは、声の大きな人がついつい主導権を握って議事が進められてしまいます。企業などで出世する人は声が大きい人が多いと聞きます。日本の大学もしかりで、研究に忙しい先生方は、そもそも会議に煩わされたくないので、教授会などもスルーしてしまいがちで、そのため、声の大きな先生が話を一人で進めてしまう傾向があります。ところが、後になってこんなはずではないと気付くことになります。しかしながら、すでに後の祭りで、意見を言わなかった方が悪いわけですね。国内学会の発表などでは、質問がないから内容を認めてもらったと思ってしまうきらいがありますが、国際会議では、質問がないということは聴衆が内容に興味がないというのが常識です。興味ある内容については、矢継ぎ早に質問が飛んできて、切れ目がありません。このことからはわかるのは、質問が少ないのは、どうも国民性に由来しているかもしれません。日本人はどうしても、遠慮を美徳する文化があり、ついつい言いたいことを言わずで終わらせてしまいます。

 言わないであとで後悔するか、言って後悔するかでは、どちらがいいでしょう? やはりこれだけは言わないといけない、と思うことはありませんか? これは自分の信念に基づいて、言わなければならないと思っていることですから、あとで後悔するということはないはずです。ただ、言うべきことを言う勇気がなかなか出ない、という人は多いでしょう。これを言ってしまうと、恥ずかしい思いをしないか、間違っていないか、反論されないか、とかついつい考えてしまって、結局言えずじまいのことはないですか? 恥ずかしいという気持ちは、先にも紹介したように、賛成の意見の人や関心のない人にはまったく無意味な反応です。一方、反対の意見の人はその反対意見を言うか、黙っているかのどちらかでしょう。もし、反対の意見を言われたならば、それに対してカッとなることなく、そんな意見もあるんですね、程度に思えばいいだけです。万一、間違った主張をして、それを指摘されたらば、「あ、間違ってました?すいません。」と素直に笑って返答しましょう。なかなかそれはできない?でも、間違っていたことを、さらに取り繕うとすると、墓穴を掘る恐れもあります。

 日本人は、全体の流れについつい従ってしまう傾向が強いといわれています。いわゆる「同調圧力」が他国に比較して強く、全体の流れに従わないと白い目で見られたり、中傷されてしまうため、ついつい全体の流れに従ってしまいます。いざとなったらまとまって行動できそうなところはプラスですが、逆に間違った方向に全体が向かってしまう恐れもあります。最終的には一人ひとりが、それが正しいか間違っているかを判断するしかありませんが、たとえば、自分の命にかかわるようなことは、慎重に判断しないと、取り返しがつかないことになります。中でも医療行為です。医療はインフォームドコンセントが大前提になっており、本人の同意がなければ、医療行為を行うことはできません。少しでも疑問を感じたら、セカンドオピニオンを要求することもできます。ニュルンベルク綱領の第1項には、「被験者の自発的な同意は絶対に不可欠なものである。」とあります。自分の命をかけてまで、間違っていると思うことに従う必要はありません。