虫の声
暑さ全開です。虫も大量に発生しています。寝ているときに、耳元で突然、キーーンという高周波音が聞こえた時は、すでに蚊にさされて、その蚊が飛び立つときの音です。嫌な音です。私の周りでは蝉がたくさん鳴いています。幸い、食べられてはいないような。ジィ---と鳴いているのは、たぶんアブラゼミです。蝉はその泣き方で、日本人は区別することができます。たとえば、ミンミンと鳴くのはミンミンゼミ、ツクツクボウシと鳴くのはツクツクボウシ、夕暮れにジーと鳴いているのは、ヒグラシなど。日本人ならお馴染みの夏の風物詩です。また、秋になれば、コオロギやキリギリスの鳴き声が夜な夜な聞こえてきます。うるさいという印象はあまりありません。むしろ、秋を感じます。秋の風物詩です。鈴虫のリーンリーンという鳴き声を聞けば、心が澄まされませんでしょうか(集団で鳴くとうるさいですが)。泣き方を言葉にして、さらにはそれが名前になっているのも、日本語特有のことです。そんな、蝉や鈴虫の鳴き声が、外国人には単なる雑音にしか聞こえない?そう言われても、逆に私には信じられません。
世界的に、虫の鳴き声を「声」として認識できるのは、日本人とポリネシア人だけだそうです。一般的には、音は音として、耳から入った音は右脳で処理されます。音楽の曲を右脳で聞いているのは何となくわかります。一方、日本人は、耳から入った音をまず左脳で処理して、音を言語として認識することが、いわば遺伝的に備わっているという研究があります。オノマトペについては以前書きましたが、川がさらさら、風がピューピュー、ネズミがチューチュー、とたしかに音を言葉にしています。オノマトペは日本語特有の表現方法で、4千種類以上あります。日本人は何気に意識もせず、このオノマトペを日頃、会話で使っています。でも、それらを英語に翻訳することは困難なようで、AIでもうまく翻訳できません。別の視点からみれば、日本語には他言語と比較して動詞が少ないため、オノマトペが使われるようになった、もしくはオノマトペが使われるようになったので、動詞が増えなかった、と言うことかと。
それではどうして、このような独特の思考プロセスが身に付いたのか?そのヒントは、どうも日本語自体にありそうです。日本語は五十音からなり、それぞれ単独でも意味を持つ言葉があります。たとえば、「ち」にも、知、地、血、と読み方は「ち」でも意味が違います。一方、英語ではアルファベット1文字で表現できる言葉は限られます。さらには同じ漢字でも、読み方がいくつもあります。たとえば、「日」は、ひ、び、か、にち、じつ、など。外国人が日本語を理解するときに一番やっかいなところです。「3月1日は私の誕生日で吉日です」という文章も、日本人なら無意識に日の読み方を変えて読むことが出来ます。1文字単位で単語を構成することができるので、音も言葉に変換することができたのでしょう。また、俳句などでは、五七五、と文章にリズムが付けられます。「静けさや 岩に染み入る席の声」、と聞けば、蝉が鳴く声、そしてそれとは対照的に、静けさの無音まで感じます。これを英語にGoogle 翻訳しても、日本人が感じる感覚はまったく伝わってきません。
他言語にはない固有の特徴を持った日本語。それでは、その起源はどこか? それは考えるまでもないでしょう。1万年以上続いた縄文文明が起源であることは自明の理です。日本以外に類似の言語がないわけですから、当然でしょう。ここで一つ素朴な疑問が生まれます。はたして、ポリネシア人はどうして虫の声を言葉として聞くことができるのか?実は縄文人のルールはポリネシア? でもそれは少し無理があります。ポリネシアに1万年以上前に文明が存在した証拠がありません。むしろ、縄文文明がポリネシアに伝わったのでは、と考える方が辻褄が会います。何度も出てきて何ですが、7300年前の鬼界カルデラの噴火で、九州に住んでいた縄文人が世界中に移動したうちの一ヶ所であるという意見に、私は賛成します。あまり意識することがない音。でも、日本人にとっては、他国の人たちが抱くイメージとはまったく異なった物理現象である、音です。音に言葉を感じる。言葉に音を感じる。それが日本人です。