日本人再考日高見国

藤原清衡と金色堂

 金(きん)といえば、世の中で最も価値がある希少金属であることはみなさんの共通認識です。それゆえ、いわゆる通貨のことを金(かね)と呼ぶようになったのでしょう。金貨がまさにその象徴です。でも日本人は、金(きん)に対して、必ずしも良い印象を持たないのではないでしょうか?私も田舎に帰省して、地元のお寺にお墓参りに行った時、お寺の本堂がキンキラキンになっているのを見て、ずいぶん儲けているのかなと思っていたことがありました。いっぱいお布施を集めているのだろうと。キンキラした物をぶら下げている人を見ると、ずいぶん金回りがいいなとか思ってしまいます。結局のところは、そのような人を妬んでいたのでしょう。でも世の中には金(きん)そして金(かね)が全てだと思っている人たちもいます。富を得ることが人生であるような、いわば信仰のようなものを持った人たちもいます。金(きん)を身につけていれば、それを見た人はその人がお金持ちだと思います。どのようにしてお金を得たのかは別として。でも、自分がもしお金持ちになったら、金(きん)をぶら下げるかと言われれば、決してしないでしょう。

 さて、前回には宮城県涌谷で金(砂金)が見つかり、奈良の大仏を鍍金する材料に使われた話を書きました。当時は金のことを、黄金(こがね)と呼んでいました。一方、鉄のことを真金(まがね)と呼んでいました。いまは金(きん)はお金と同意ですが、当時は金(きん)はお金ではなく、あくまで仏像を鍍金するための金属であった、ということをまずは理解する必要がありそうです。当時は鉄の方がむしろ貴重なものなので、まさに真金(まがね)であったのに対して、金は黄色い金、黄金(こがね)と呼ばれていました。したがって、いまの金に対する印象でそのまま当時を見ると見誤ります。仏像を鍍金する金属になるまでは、黄金に対して、そもそも価値を見いだしていなかったのでしょう。日本に最澄が伝来した天台宗を始めとする初期の仏教では、極楽浄土を思い描くことにより成仏するとされて、金で鍍金されたきらびやかな仏像などがたくさん造られました。自らの極楽浄土を願う大和の貴族階級が、極楽浄土を地上でイメージするために好んで「鍍金のための金」を欲していたものと想像します。前々回にも書きましたが、734年に起きた畿内七道地震をきっかけにして、聖武天皇が仏教に帰依していった結果として、奈良の大仏が造られましたが、果たして自分の極楽浄土を願ったものかどうかは定かではありません。

 このお盆休みに平泉に行って、中尊寺本堂の大仏や、金色堂、そして阿弥陀仏を中心としたたくさんの仏像を見てきました。これで二度目になります。最初に行ったのはもう10年以上前になりますが、その時はまさに観光がてらの物見遊山で、金色堂とやらを見に行きました。したがって、その時はあまり良い印象は持っていませんでした。なぜならば、キンキラキンにしたお寺と同じイメージを持っていたからです。ずいぶん、金回りが良いお寺程度の知識だけで見てきました。でも、今回は前回とまったく違いました。日高見国に興味を持ち始めて、いろいろ書籍を読んでいるうちに、おぼろげながらも、東北という土地における縄文時代から今日まで続く独特な文化の全貌が見えてきました。実は平泉はそれを象徴する場所の一つであるとの認識に至りました。平泉は奥州藤原四代の初代藤原清衡が新たな拠点とした場所です。清衡、基衡、秀衡、そして泰衡と約100年続いた奥州藤原氏ですが、特に平泉にまで至る清衡の人生を知ると、平泉を造り金色堂を建立した理由が見えてきました。

中尊寺金色堂(正確にはその覆堂、中に金色堂がある)

 前九年の役(~1062)で源頼義との戦に敗れた父親の藤原経清はひどいやり方で処刑され、その後の後三年の役(~1087)では家族も殺され、散々争いに巻き込まれて、そして時代の流れの中で幸いにも生き残り、平泉に中尊寺を建立しました。この辺の話はすでにいろんな書籍に書かれています。ただし、本1冊分の内容ですので、おいおい拾いながら紹介します。その中で清衡を最も象徴しているのが、中尊寺を建立する際に書いた「中尊寺建立供養願文」です。その一部を平泉文化遺産センター館長の大矢氏が現代語にしていましたので、拝借してきました。

この鐘の音は、あらゆる世界に響き渡り、誰にでも平等に、
苦悩を去って、安楽を与えてくれる。

攻めてきた都の軍勢も、
蝦夷(えみし)とさげすまれ 攻められたこの地の人達も
戦いに倒れた人は 昔から今まで、どれくらいあっただろうか。

いや、人間だけではない。動物や、鳥や、魚や、貝も、
このみちのくにあっては、生活の為、都への貢物のために、
数えきれない命が、今も犠牲になっている。

その魂は 皆 次の世界に旅立って行ったが、
朽ちた骨は 今なおこの地の塵となって
恨みをのこしている。

鐘の声が大地を響かせ 動かす毎に、心ならずも命を落とした霊魂を
浄土に導いてくれますように。

 どうでしょうか?ご存じでしたか?これが、平泉の中尊寺に込められた清衡の思いであることを、私はつい最近知りました。そして、金色堂を造り、仏像を金で鍍金したのには、ただ極楽浄土を願うだけではない深い意味があったことも知りました。それについては次回にまた書きます。