お散歩コース紹介仙台再発見日記

肴町と良覚院

 先週の続きです。先週の地図を再度以下に示します。辻標四番には、「大町三丁目横丁」と「肴町」(さかなまち)と記されています。大町三丁目横丁は現在の肴町公園の西側に本荒町通りから立町まで続く通りで今もありますが、Google Mapには通りの表記はありませんでした。一方、肴町は大町通りの北側に平行した通り沿いにあった町で、名前の通り、藩主御用達の魚を専売していた商人をはじめ、問屋、宿屋、飲食屋などがあり、戦前まで活気に溢れていた町であると記されています。現在はそのような面影はありません。

 現在のGoogle Mapでは肴町の位置関係がよくわからないので、やはり、天和3年(1683)の地図から探してみました。以下に地図に示します。地図に記された主な町に印を付けました。奥州街道沿いに、南町、国分町、二日町があります。これらは現在も同じ名前が付いた町があります。地図を見ると、赤線で囲まれたところが、通り沿いの町であることがわかります。この中に商人が住み着いて、商売をしていたものと思われます。その中に、材木町、本材木町、立町、大町、そして肴町とはっきり記されていました。肴町は大町と立町の間に平行していた町であることがわかります。町を示した赤枠の外側には細かく区切られた武家屋敷が並び、すべてに筆で主人の名前も記されています。これ以外にも、「職人」と記されてところなどもあります。

 肴町公園と合わせて現在、南町通と青葉通に挟まれたところに良覚院丁公園があります。辻標十九番には、良覚院丁と記されていました。調べてみたところ、天和3年の地図にも記した通り、良覚院丁公園となった場所には、「良覚院」がありました。ここは、良覚院日林を始祖とする天台宗派の一派である本山派の修験院だったようで、代々伊達家に仕えていた山伏が修験していたらしいです。もっと深い歴史があるようですが、ここではこれ以上は触れません。現在、良覚院丁公園の隣には、「緑水庵」という茶室と庭園があり、茶室は有料で貸し出ししているとありました。そういえば、「緑水庵」という和菓子屋や「緑水亭」という旅館が仙台にはありますが、この茶室がその名の由来なのでしょう。

 さて、目を少し広瀬川沿いに向けると、これまた興味深いものが幾つか見つかりました。まずは大橋です。大橋は現在もあります。いまも青葉通から青葉城跡に向かうとき通る橋です。天和3年の地図を見てみると、大橋の東側の坂道が塀に囲まれて直角に曲がりくねった通りになっているのがわかります。当然ながら、城の守りを固めるためにそのようにしていたのでしょう。いまは「大坂」というただの坂道になっているところが、実はすでに仙台城の入口として機能していたことがうかがわれます。それから、北に目を向けると、現在の中ノ瀬橋と同じ場所に橋が架かっています。ただし、天和3年の地図にはまさに中ノ瀬があり、それを渡る形で2つの橋が架かっていたことがわかります。現在、この中ノ瀬はありません。

 最後に、さらに北に目を向けると、「支倉橋」があります。現在はありません。現在はこの少し上流に澱橋があります。これについては、また次回続きを書きます。