日本人再考日高見国

縄文時代の遺跡

 縄文時代の遺跡が東北地方で最近、次々と発掘されていることはすでに話しましたが、その代表的なものが三内丸山遺跡です。でも、実はもっとたくさん発掘されている場所があります。神戸大学名誉教授の枝村先生らが作成した図がよく引用されているので、私も拝借してきました。オレンジ、赤、そして青色になるにつれて、多くの遺跡が発掘されています。あいにく、北海道はデータがありません。全国に、満遍なく分布はしているのですが、中でも、関東、特に現在の千葉県の東京湾岸にたくさん分布していることがわかります。ただ一つ考慮すべきは、人口が多ければ、それだけ建造物をたくさん造ります。その際に発掘調査が義務づけられていますから、東京近郊で、発掘数が多くなるのは必然です。それにしても、まったく分布していないレベルからすれば、結構な数の縄文遺跡があったことがわかります。青森や宮城にも多く分布しています。それらの間には人が長年掛けて移動した場所と思われるところにも点在しています。東京以西にもそれなりに分布しており、長野、静岡、愛知、北陸、近畿、山陰、そして九州にも分布しています。ただ、瀬戸内沿岸や四国、紀伊半島にはほとんど分布していません。

 もう一つ、長者ケ原考古館資料とされる、ヒスイが出土した遺跡の分布もよく引用されているので、同じく拝借しました。あいにく、原本は見つかりませんでした。ヒスイが三内丸山遺跡から発掘されたことは、以前書きました。日本でヒスイが取れるのは、糸魚川沿いだけだといわれていますので、三内丸山と糸魚川近辺とは交流があったことがうかがえます。それも海路を通じて交流があったのでしょう。他にも、縄文遺跡が多く見つかった東京湾周辺でも出土しています。ヒスイからは勾玉を作り、首飾りや祭祀に使われていたといわれています。このことから、ヒスイの勾玉は縄文文化を代表する出土品になります。興味深いのは、天皇が代々引き継いでいる三種の神器の一つがヒスイの勾玉であることです。

 一般的には、徳川家康が江戸幕府を開いたことが、関東発展の始まりであると思われています。でも、それよりも2,3千年以上前にたぶん縄文人が普通に生活していたことが想像されます。

 さて、ここからは私の勝手な想像になります。エビデンスはありませんので、念のため。ヒスイはたいへん貴重な鉱石で、そこから穴を開けて作った勾玉も貴重であったことはすぐわかります、その加工には結構な時間が掛ったように想像します。たぶん、黒曜石もしくは鉄器?などを利用したのでしょう。ヒスイやそれから作った勾玉を何の目的で使っていたかは、確固たるエビデンスはありません。でも、天皇が代々受け継ぐ三種の神器のうちの一つが勾玉であることから想像すれば、古代から延々と続く、神道の信仰、いわゆる八百万の神信仰と勾玉は密接に関係していると容易に想像できます。その勾玉が東日本で流通して、そこが縄文遺跡が発掘されたところから発見されているとすれば、縄文人が勾玉を作り、かつ祭祀に使っていたことも十分考えられます。