日本人再考満洲で日本は何をした?

満洲で日本は何をした?

 満洲(州ではなく正確には洲)は、いまありません。名前は聞いたことありますよね。中国大陸を日本が侵略した際に、造った国であることくらいは歴史で教えられています。でも、ここで話しが終わってしまうと、またしても騙されています。そもそも、何で日本は「侵略」しなければならなかったのか?それを知るためには、本当は何が起きていたかを知らないと始まりません。実は、ここでは書き切れないほど、いろんな複雑な出来事が起きた歴史が隠されました。「侵略」か、「進出」か、「防衛」か、「人助け」か、はとりあえず置いておくことにして、大東亜戦争に突入する日本動乱のきっかけが、1894年に始まる日清戦争です。清は、1644年に誕生した王朝です。それまであった明を滅ぼして、誕生しました。明は漢族の王朝でした。一方、清は満洲族が造った王朝です。したがって、民族の継続性はありません。中国5千年の歴史の云々というのがありますが、どこからどう数えてそうなるのか、私は知りません。満洲族は元々、女真(ジュシェン)と呼ばれていた、いまの中国北部に暮らしていた遊牧民族です。したがって、満州族には領土の概念がなく、国境もありませんでした。チンギスハーンでも知られるモンゴル族が権力を握っていた14世紀頃はモンゴル族に仕えていた民族でした。ちなみに、明の前にはモンゴル族の国、元が大陸を広く支配していました。後に、女真は満洲(マンジュ)と改名しました。

 満洲族は、モンゴル族が弱体化するにつれて、それに置き換わる形で勢力を広げて来ました。明王朝が、その末期に弱体化したのに乗じて、北から攻め込んで、明を滅ぼしました。明王朝が首都にしていた北京をそのまま、清王朝でも首都として、同じく紫禁城(いまの故宮)を宮殿としました。圧倒的に多数を占める漢族を始めとする多民族が混在する大陸を、間接統治によりうまく支配していたのですが、18世紀になって、産業革命が起きて、蒸気船ができたり、武器も近代化した途端、みなさんご承知の通り、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、ロシアなど、白人国家が、植民地化しようと中国大陸にも進出してきます。広州の開港を皮切りに、強引な貿易を強いて、挙げ句の果てには銀の代わりにアヘンで支払いなどを迫ったりした結果、よく知られているアヘン戦争が勃発します。でも、近代兵器相手には勝てず、中国大陸への侵略が進んでいきました。この時点ですでに、日本がどうのこうのという前に、白人国家がどんなにえげつないことをしていたのかがわかります。北からは、ロシアが進出を企てて、強引な条約を取り決めて、国境線を徐々に南下させていました。長い歴史の中で、朝鮮半島には紀元初期に「倭」の国ができたり、逆に元寇があったり、秀吉が出兵したりなどもありましたが、清の国力が徐々に弱体化していく中、朝鮮半島では、李氏朝鮮で動乱が起きたため、宗主国であった清がその鎮圧に乗り出しました。

 そんな1894年、目と鼻の先にある朝鮮半島の政情が不安定になることを懸念した日本が、清との間で起こしたのが、日清戦争です。結果的に日本は勝利して、李氏朝鮮を清から独立させて、1897年に大韓帝国を誕生させたとともに、台湾が日本に平定されました。このときから、戦後まで台湾は日本でした。さらに、多額の賠償金を得て、かつ遼東半島も割譲されるはずでした。ところが、ロシアがフランス・ドイツと結託して、資金不足になっていた清に、賠償金を貸与することで清をたきつけて、遼東半島の借地権を日本から奪い取りました。まったく、えげつないですね。ロシアは太平洋側に不凍港がどうしても欲しかったのです。支配下にあった北満洲の地から、ウラジオストークや遼東半島にある大連・旅順まで鉄道を敷きました。他の白人国家も清の敗戦に乗じてさらに進出してきます。そんな中、キリスト教を布教していた外国に反発して、1900年、清で義和団の乱が勃発します。当時、清の皇帝を陰で操っていた西太后も義和団に便乗しましたが、相手が西洋の大国ですから、たった2ヶ月で北京は外国の連合軍に占拠され、西太后も光緒帝をつれて、西安まで逃亡しました。これぞとばかりに、ロシアは鉄道の保護を名目に、満洲全域を支配下に置いてしまいました。さらに朝鮮半島にも南下しそうなロシアを食い止めるために、1904年、日本はロシアとの戦争に踏み切った、それが日露戦争です。

 奇跡的にロシアに勝利した日本は、遼東半島の借地権を取り戻し、長春と大連・旅順間の鉄道も獲得して、満洲鉄道が誕生します。日本の年間国家予算を超える資金を投資して、満洲鉄道とその周辺を開拓していきました。弱体化した清は、1911年の辛亥革命で事実上、滅亡して、中国大陸の南に中華民国が誕生しました。これ以降の中国大陸は多民族と外国が入り乱れた混乱状態に陥りますが、簡単にはとても説明できないので、ここでは省略します。その時、皇帝であった愛新覚羅溥儀はその後もそのまま紫禁城で暮らすことが許されていましたが、1924年に紫禁城からも追い出されました。この辛亥革命以降、満洲族はこれまで支配してきた漢族から逆に迫害されることになり、満州族であることを隠して暮らしていくことになります。この間、1914年に第1次世界大戦が起き、1917年にロシア革命が起き、1922年に共産主義国家ソ連が誕生します。日露戦争後はむしろ蜜月だったロシアとの関係が急速に悪化していきます。ソ連のコミンテルンは漢族に反日感情を植え付けて、漢族を共産主義化していきます。一方、日本は、シベリアに取り残された反共産主義のロシア人やチェコ軍兵士などを助けるためと、アメリカなどにそそのかされて、シベリアに約7万人近くも出兵したりして、だんだん紛争の深みにはまっていきました。すでに多額投資している満洲鉄道を保護するために、そして満洲の共産主義化を防ぐために、世にいう満州事変が起こり、1932年に満洲国を建国しました。事の良し悪しを判断する以前に、日本が単独で満洲を侵略した話しではないことくらいは、わかると思います。

 満洲国は、建国時には約3千万人、その後ピークには約4千3百万人(ほとんど漢族)の人口がありましたが、終戦直前にソ連は日ソ不可侵条約を破棄して、満州を再侵略しました。満洲にいた日本人も約60万人がシベリアに奴隷として抑留されましたが、最終的には共産主義革命で誕生した中華人民共和国の支配下になりました。その後、満洲族は区別が付かないほど漢族にどんどん同化してしまったようです。現在1千万人くらい中国北部に居るとされていますが、実はほとんどが漢族であるという話しもあります。満洲族の運命は、民族が同化させられていく過程を如実に示しています。日本も今後このようにどこかに同化していく運命なのか?それは、若いみなさん次第かもしれません。えげつないことをたくさんしていた人たちがそれを隠すために、みんな日本のせいだとひたすら洗脳しつづけて今日に至っています。歴史の教科書でもそう教えています。

 この時代、そして満州国建国後については、まだまだ書き足りないので、いずれまた書きます。