トラベル日記震災の記憶

浜通り+

 三日目はどこに行くか決めかねていましたが、結局、浜通りを常磐線で北上することにしました。朝8時前の磐越東線に乗り、郡山からまずはいわきまで移動しました。座席がほぼ埋まる程度の乗客で、ほとんどは帰省客のような残りは私のような暇なおっさんの一人旅のようで、途中の景色はどちらかといえば見慣れた田舎の景色で、特に特徴はありませんでした。冬だからかもしれません。また、暖かい時にも乗って見ることにします。約1時間半の所要時間で、9時半にいわきに到着しました。いわきは今回が初めてです。いわきといえば、スパリゾートハワイアンが有名です。昔は常磐ハワイアンセンターと呼ばれていました。常磐線の原ノ町行きの乗り換え電車が12時過ぎだったので、2時間程度の時間をどうにかする必要があり、観光案内所でガイドマップを貰ったところ係りの人から、工事中だが駅のすぐ側に、磐城城跡があると教えてくれたので、そちらに向かうことにしました。

 駅出口の通路を左側に向かうとすぐ外に城壁の工事中と見られるところがあったので、マップを頼りに城跡にある公園の方に向かいました。ちなみに右側に行くと、中心街になり、結構大きくて立派な駅前でした。たぶん、スパリゾートハワイアンに来る人もたくさんいるからでしょう。そして城壁工事の横の通路を歩いた時、再建中の城壁を見て、違和感を覚えました。真っ白できれいなのはいいのですが、石ではなくセメント?で造られた模造品でした。それまではよかったのですが、ランダムな石の模様が付けられているのかと思いきや、同じデザインの石が点在しているではありませんか?違うデザインの石が何種類あるのかよく数えませんでしたが、え---?という気分になってしまいました。え---?というのが何なのかは敢えて書きませんし、写真も撮りませんでした。それはさておき、掲示されていた説明看板によれば、現在工事中のところは、本丸に当たる部分のようで、いまのいわき駅の場所は内堀があった場所に相当すると書かれていました。また、今回のテーマである戊辰戦争の時には、奥羽越列藩同盟に加わり新政府軍と戦いましたが、敗北して自ら城に火を付け、磐城平藩は落城したとあります。

 工事中の本丸跡地付近を歩きましたが、跡地にある公園も工事柵で囲われており、見れる物はありませんでした。1時間も立たないうちに全体を一周回り、乗り継ぎ電車の時間まで、1時間以上時間があったので、事前に調べて目に付いていたちょっとお高めの海鮮丼のお店に、早めのお昼にしょうと行ってみたところ、すでに待ち行列になっていて、あきらめて駅まで戻り、結局、コンビニでサンドイッチを買って、乗り継ぎ電車が来るのを待ちました。そして、原ノ町まで乗りました。

 いわきと原ノ町間といえば、東日本大震災の際に福島第一原子力発電所の事故で避難地域になった場所です。一度も常磐線に乗ったことのない私にとっては、震災前後を含めて初めて通過するところです。当然ながら、それを念頭におきながら、周辺の様子を窺いながら電車に乗っていました。大野駅から双葉駅に向かう辺りから、周辺の様子が変わってきました。空き地が多くなり、枯れた夏草が一面に生えている未使用の敷地が周辺を覆い出しました。たぶん、震災前は住宅があったものと推測します。所々に新しい住宅が点在していましたが、むしろ、震災復興で建てられた同じ造りの戸建ての住宅や鉄筋アパートがむしろ目立ちました。そんな中でもう一つ目立ったのが、黒いパネルです。空き地になった土地の上にたくさん敷き詰められている場所が点在していました。それを見たときは、さすがに複雑な気持ちになってしまいました。一生懸命復興しようとする姿であるのを理解しつつ、本当だったら賑わいのあった町並みが、このような形になってしまい、それが震災からすでに15年経とうとしている時に、いまだこのような状況を見て、あの震災の爪痕がいかに長く続くかということを思い知らされました。憚られたので、写真は撮っていません。

 双葉駅から浪江駅に向かい、さらに浪江駅から北に向かうにつれて、幸い周辺の様子は見られた景色に変わっていき、原ノ町に到着しました。原ノ町という地名はよく知っていましたが、失礼ながら、南相馬市であることを今回初めて知りました。ただ、少し北に相馬駅があり、どちらの駅にも寄りたかったのですが、乗り継ぎ時間の都合でいずれかでしか時間的余裕がなかったので、今回は相馬駅周辺で時間を使うことにして、原ノ町駅には20分ほど滞在してから、すぐ乗り継ぎ電車に乗りました。相馬駅までは17分ほどで着きました。2時半に着いて、4時半の仙台行きに乗るつもりでいたので、2時間ほど時間を潰す必要がありました。駅においてあったガイドブックを貰って見てみたところ、相馬歴史資料収蔵館がありましたので、そちらに向かうことにしました。10分ほど歩いたら到着しました。ただ、年末年始で閉館でした。当然と言えば当然です。市の資料館ですから、すでに仕事納めをしていました。近くに、相馬中村藩の中村城跡に出来た馬陵公園があり、その隣に相馬神社と相馬中村神社があるとガイドブックには記されていましたので、そちらに向かいました。二つの神社には相馬家代々の氏神が祀られているそうです。ただ、行ってはみましたが、新年直前の準備中で人は閑散としていました。相馬野馬追は相馬中村神社を出陣して南相馬市まで向かうそうです。今年の4月以降は老後の特権を生かして、ウイークディーに旅行をした方がいいと再認識しました。

 たった1時間程度見ただけで、相馬を語るのは失礼に当たることから、また改めて時間を使って見に来ることにします。そんなわけで駅まで戻り、乗り継ぎ電車までまだ1時間以上ある中、駅の待合室は私1人だけで、駅の改札前には帰省する孫たち?を待っている年輩のおばちゃん(おばあちゃん?)がいて、到着した電車から掛けてきた子供たちと再会して喜んでいる姿を3件ほど眺めながら、これが本来の姿かなと思いながら、電車を待っていたところ、やって来たので乗り込んで、時間帯もありお客は疎らで、近くに座った同じ様な1人旅のオッちゃんと、いつの間にか2人とも、うたた寝状態になり、常磐線から東北本線に移り、仙台駅に17時半に着きました。家には外食すると伝えていたことから、半田屋で食べ納めでもしようと向かって入ろうとしたら、お店のおばちゃんに、「もうご飯ないのよ」と店じまいの最中で、仕方なく諦めて、隣にある丸亀製麺に入り、ぶっかけとかき揚げ、そしていつもは注文しないマイタケの天麩羅を、今年最後ということもあり注文して食べました。

 これでおしまいと言いたいところですが、丸亀製麺で見た1人のハゲのおっさんに目が点になってしまいました。私の二つ前に並んでいたおっさんは、釜揚げを一つ注文したまではよかったのですが、トッピングで山積みに置いてあるネギと天かすを、どちらも半分くらい取って平皿の上に山盛りにして乗せていました。最近、丸亀製麺ではさらに、わかめとおろし生姜もレジの隣にトッピングで置いているので、もしやと思い観察していたら、案の定、それぞれ置いてある半分近くを、平皿に乗ったネギと天かすの上にさらに無理やり乗せようとして乗せ切れず、皿からこぼれ落ちていました。このおっさんはお金がなくて仕方なく、トッピングをおかずにしているのかとも思いながら、人目も憚らず、堂々とおろし生姜まで山積みにして、そのショウガをどうやって食べるのか気になって横目で見ていたら、食べるときは至極真っ当に、釜揚げの釜からすくった麺を一本ずつ丁寧にタレに漬けながら、トッピングをおかずにして少しずつ食べていました。おっさんの栄養状態は大丈夫かと少し余計な心配までしてしまいました。

 旅行の最後の最後に、旅行の記憶がぶっ飛びそうな場面を見てしまいましたが、さすがに疲れも出てきたので、ぶっかけ、かき揚げ、マイタケを食べて、そそくさと家に帰りました。ちなみに今回の旅行スタイルはハイキングのそれで、ハイキング用の上下ウエア、帽子とSIRIOのハイキングシューズ、それから新たに購入したマムート(マンモスマークのやつ)のリュックの中にショルダーバックを入れて、駅からの散策には、リュックをコインロッカーに預けて、ショルダーバックを使いました。プライベートの旅行スタイルは、ほぼ確立されたように思います。