日本人再考歴史ミステリー

歴史ミステリー

 もともと歴史にはまったく興味が無かった私ですが、戦後、日本の歴史をG○Qが書き換えたという事実を知り、その後、本当の歴史はいったいどうなのだろうかと興味がわき、3年ほど前から日本だけでなく世界の歴史についてランダムに書籍を読んでいました。何度も書きますが、日本に限らず世界の歴史は、「勝者が作る」。これが基本です。ほとんどの真実は闇に葬られているのでしょう。そんな歴史を知って何の意味があるのかと思われるかもしれません。知って特にお金が増えるわけでもありません。偉くなれるわけでもありません。でも、これは日本人特有なのかもしれませんが、真実が知りたいだけです。これまでにもいろいろ書きました。特に、幕末から大東亜戦争に至る経緯を探索、一方で、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)こと神武天皇以前を縄文時代まで遡って探索などをしてきました。合わせて、大陸の歴史、特に民族、宗教の歴史を探索してきました。それらの過程で、これだけは闇に葬ることができない事実は、遺伝子解析が進歩して、Y染色体ハプログループにより人類が分類できることです。日本人のルーツは、Dタイプに属します。一方、中国を代表する漢族のルーツは、Oタイプです。さらには満州族のルーツはCタイプです。これらタイプは、3万年以上前に分化しています。日本がまだ大陸と陸続きだったときからです。Dタイプは、他にも、チベット民族にも多く分布しています。もちろん、琉球民族やアイヌ民族も過半数がDタイプです。歴史を書き換えることはできても、遺伝子を書き換えることはできません。

 ここからの話はあくまで書籍上のことなので、その真偽の判断についてはみなさんにお任せします。歴史の書籍を読んでいてまず驚いたのは、同じ時代のことが書かれていても、著者ごとに言っていることは様々です。科学者の端くれである私からすると、大丈夫かと思ってしまいます。でもよく考えていると、宇宙科学の研究と同様に、検証しようがない話になると、勝手気ままな議論ができるのかもしれません。ある意味、うらやましい限りです。最たる例は、邪馬台国、卑弥呼の話です。私も4,5冊関連書籍を読んだのですが、みんな主張が違っていました。邪馬台国がどこにあったのかはいまでも学説が二分しているようですが、そもそも卑弥呼などいなかったといっている研究者もおります。私もどちらかというと、いたのかもしれないがたいした存在ではなかった、という考えに最近は至っています。そもそも、「邪馬台国」、「卑弥呼」という文字は、それぞれ蔑む意味の、「邪」や「」などが使われている時点で、あれ?と思うべきでしょうね。古事記や日本書紀にも、邪馬台国の話はいっさい出てきません。その記紀の中には、天照大御神から始まる天皇の歴史が記されています。神の世界、高天原から、瓊瓊杵尊が天孫降臨して、地上である葦原中津国に降り立ち、その子孫が神武天皇であるとされています。まあそんなことはないでしょう、と思いますね。神武天皇が即位したのは皇紀で、西暦に換算すると、前660年とされています。でも、縄文人のルーツが3万年前に確立していたわけですから、これは変だとすぐわかります。記紀も、それの編纂を命じた天武天皇の時代背景などと密接に関わっていますので、何かそのように記すべき政治的な理由があったのでしょう。

 一つの歴史もいろんな角度から読み解くと、おぼろげながら全体像が見えてきます。そのひとつに、「ユダヤ人渡来説」という、いわゆる都市伝説があります。私も、3冊ほど関連書籍を読んで、そのときは内容に衝撃を受けました。ユダヤの契約の箱(通称アーク)と天皇が所有する三種の神器の関係、剣山や出雲大社・諏訪神社の神事、伊勢神宮の六芒星、稲荷神社や八幡神社の由来、国歌やソーラン節とヘブライ語との関係、などなど。いわゆる「日ユ同祖論」に基づく主張です。読んでいたときは、そうなんだ、と変に納得していたのですが、でも、よく考えてみれば、いわゆるユダヤ教は一神教であるのに対して、日本は古来から、神道、すなわち、八百万の神を信仰する多神教です。あれれ?と思った次第です。この説には、失われたイスラエル12部族が関係しているようです。メソポタミア文明は、チグリス・ユーフラテス川の河口から始まり、シュメール人が紀元前四千年辺りに住み着いたとされています。その後、バビロニアやその隣にアッシリアなどの国ができました。その当時、ユダヤの国はまだありません。前二千年ころに、アブラハムが神から啓示を受けて、カナンに住み着き、その孫のヤコブのさらにはその十二人の息子から始まる十二部族が、前931年に、二部族からなるユダ王国と十部族からなる北イスラエル王国を建国したとされています。バビロニアやアッシリアからすると小国です。北イスラエル王国は前722年にアッシリアに滅ぼされ、前586年にユダ王国はバビロニアに滅ぼされ、バビロン捕囚されましたが、50年後にユダヤ王国が再建されます。でも、紀元70年にローマ帝国に滅ぼされて、1948年にイスラエルが建国されるまで、世界中に離散して、苦難の日々を過ごしていたとされています。

 滅亡した北イスラエル王国の十部族の一つがネストリウス派キリスト教徒として東に移動して、唐の時代に景教を開祖したと言う説があります。その寺院の名前が、大秦寺ですが、「大秦」は中国語で、ローマを指す言葉です。一方、秦が滅んで始皇帝の末裔が、朝鮮半島南端に移動して、辰韓(しんかん)という国を造りましたが、紀元356年に新羅により滅ぼされました。その際に、辰韓からたくさんの人たちが日本列島に移住してきて、渡来人として知られている秦氏もその一族だったという説があります。秦氏一族は大和国にたくさんの技術を伝えたとされています。それと同時に、景教(もしくはユダヤ教?)を伝えたという説もありましたが、景教は唐の時代ですので、時代がそもそも合いません。でも、稲荷神社や八幡神社を大和に普及させたのは、聖徳太子の側近でもあった秦河勝といわれています。大胆な仮説ですが、シュメール人のルールは縄文人であるという説もあります。中南米で縄文土器が発掘されたという話もあります。さらには、漢字のルーツは日本発祥の神代文字であるとか、稲作も日本から大陸に伝わったとか、いう説を唱えている人もいます。他国の人が聞いたらとんでもないと思うでしょう。日本の歴史の教科書には、日本の文化や稲は大陸から伝わったと書いてあります。G○Qさんがそうしたのでしょうか?結局のところ、いずれも証明できていません。宇宙の広さを証明するのと同じかもしれません。

 真実は闇の中ですが、自分自身が信じる真実にたどり着けば、それで私は納得できます。奥が深くて、一度はまると死ぬまで探求しても尽きないのが歴史の真実かもしれません。書き足りないので、また書きます。