東北人として
年を取ると1年過ぎるのがものすごく速くて、今年ももう年の暮れです。 ここのところ、日高見国が気になっていろいろ探索していましたが、一つ得られた自分にとって結論は、私は「東北人」であるということでした。そりゃ、東北地方に住んでいるから、東北人だろうと思われるでしょう。でも、その東北人と思われているよりも、たぶんより深い意味での東北人です。たしかに東北地方に長らく住んでいたので、「東北人」になったというのが、その結論ではあります。私が生まれたのは石巻ですが、その後、父親の仕事の都合で、幼稚園から高校までは東北以外で暮らしていました。大学生になったタイミングで、家族もまたもともと住んでいた東松島市(旧矢本町)に戻ってきて、私は仙台暮らしは始めて、そろそろ、半世紀になろうとしています。半世紀、東北に住んでいれば、たぶんみんな東北人になるのかもしれません。
東北人はいったいどうやって東北人になったのか? そのヒントは直木賞作家の高橋克彦さんの本にも書かれていましたが、東北地方の風土が大きく影響しているのでしょう。もともと、青森の三内丸山で暮らしていた縄文人から東北人が始まるとすれば、5千年以上の歴史になります。津軽で発掘された大平山元遺跡は、約1万6千年前にすでに縄文人が暮らしていたことを示唆しています。日本の東北地方は四季がはっきりしており、季節ごとに採れる食べ物も違いました。稲作はまだなかった時代に縄文人は非農耕型定住生活の中で、みんな協力しながら食べ物を収穫していたと想像します。食べ物を与えてくれる自然に畏敬の念を抱き、八百万の神信仰が生まれたと、私はすでに確信しています。争いごとが馴染まない環境で、利他の心が生まれたとも思っています。他人を思いやる心です。
縄文カレンダーには、季節ごとに様々な食べ物が記されています。そんな生活習慣はつい戦後まで続いていました(最近は便利になりいつでも好きなものが食べられる)。東北地方の田舎には、いまでもその習慣に根差したものが続いているところもあります。それらは意識的に伝承してきたのかもしれません。縄文人の流れを汲んだ人たちが住んでいた東北地方には、日高見国がありました。平和に暮らしていた人たちは西にできた大和の国から干渉されていきます。大和からは蝦夷(えみし)と蔑まれて呼ばれていました。中でも、仏像に鍍金する黄金(こがね)が発見されてからは、蝦夷が侵略されていきます。支配下に置いたところは陸奥国(みちのく)と呼ばれました。阿弖流為(アテルイ)が破れて、蝦夷が滅び、その後東北地方は、大和朝廷の管理下で安倍氏が統治しますが、前九年の役で安部頼時が源頼義に破れ、その後に後三年の役を経て、奥州藤原氏の時代が三代続きましたが、四代目の藤原泰衡が源頼朝に敗れて、日高見国は滅んだとされています。なお、この辺の話はまた改めて書きます。
阿弖流為以降に蝦夷の地を統治した人たちは、大なり小なり大和朝廷の意向が働いていた人たちでしたが、先に書いた奥州藤原氏の初代清衡が書したとされる、中尊寺建立供養願文にもある通り、戦いを好まない平和な世の中を切に望んでいました。東北を統治していたこれらの人たちは決して西に攻め入ることはしませんでした。ただし、攻められたので戦ったわけです。戦いを好まず和を尊ぶ精神は、まさに縄文人が長年の東北における生活の中で、自ずと身につけてきた精神ではないでしょうか。東北という環境で長らく暮らして行くと、自然にその精神が宿る、ということを先の高橋克彦さんの書籍の中には書かれていました。東北は蝦夷の時代から、常に西側からの侵略を受け続けていましたが、実は今もそうだと私は思います。良かれ悪かれ、それと対決することを好まないのも東北人かと。いわば、何でも受け入れてしまう。もともと、八百万の神を信仰していた東北人に、坂上田村麻呂が仏教を布教させましたが、東北人はそれを受け入れて、奥州藤原氏も中尊寺や金色堂を造りました。
なんでも受け入れる精神が東北には根ざしています。それはもうすぐ退職する職場においてもしかりです。私の職場も中央からのご意向で何でも受け入れてきました。みなさん、それを受け入れることを選んだわけです。そしていま受け入れすぎ?て、文化・伝統の灯火が消えようとしています(すでに消えた?)。そして東北人になった人たちもいなくなろうとしています。はなして、新しく入ってきた人たちが、いずれ東北人になるかどうかは、あと半世紀は経たないとわからないのでしょう。私はもうすぐ退職ですので、すでにそれには組していません。でも反対もしません。それは、私が典型的な東北人だからなのかと、最近思っています。
さて、そんな東北人の私ですが、今後も東北人の一人として勝手気ままなことを書いていきたいと思います。1年間、拙い記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。それでは良いお年を。