処世術について趣味と勉強

有言実行

 ここのところ、あまり処世術の話は書いていませんでしたが、ふと思い立ったことがあったので、備忘録的にメモすることにします。「有言実行」という言葉はご存じかと思います。ネットで調べれば、「言ったことは必ず実行する」という意味です。みなさんもその意味で解釈していると思います。長年、学生相手に商売していると、学生の実力がちょっとしたところから、すぐ見えてきます。メイルへのレスポンスの速さです。何か案件があって、学生にメイルをすると、速い学生はものの数分で返事が帰ってきます。遅い学生は一度のメイルでは返事が来ません。この時点で、だいたい学生の実力がわかります。何度メイルしても返事が来ない学生は、自ら引きこもっていることを証明しています。それを暗に教えてくれているのかもしれません。何も速ければいいというものでもありません。常識の範囲内で、ちゃんと返事をするのが礼儀であると思います。これは何も学生だけでなく、職場の同僚間でも当てはまることかとも思います。あいにくというか残念ながら、私の経験からは、メイルへのレスポンスの速さが学力とほぼ相関しています。メイルに返事をする過程で、何かしらの別な思考や外乱が入るか入らないかの違いかもしれません。たとえば、面倒くさい、とか、やる気がしない、とか、他にやりたいことがある、とか。

 人間ですから、それがむしろ普通です。あまり出来すぎるのも果たして魅力的かどうかはまた別の指標になります。ロボットやAIに任せればいいことなどもあるでしょう。有言実行という言葉とメイルへのレスポンスにも深い関連があります。たとえば、「これお願いします。」とメイルすると、返事の速い学生は、「はい、わかりました」と返事がきて、かつそれを実際に実行します。「はい、わかりました」と言うのは、まさに「有言」です。一方で返事がなかなか来ない学生でも、「はい、わかりました」と返事が来ます。でも、いつになっても実行されません。これは、「有言実行」ではないことになります。メイルへのレスポンスが速い人は、たぶん無理ならば、「それは無理です」と返事するように思います。できないのであれば、できないと速く返事をした方が、その後の対策も取り易くなります。レスポンスが遅いと、結局のところ、物事が後手に回ってしまい、本人の首を絞める結果になりかねません。

 さて、ここでの話は、「有言実行」の解釈が私は少し違うところです。「言ったことは必ず実行する」は当然ですが、さらに踏み込んで、「やることを公言することで、自らを実行に追い込む」、という解釈です。これまでにも、そうしてきました。Journal論文を執筆する際にも、職員や学生にまずはその旨、宣言します。こうすることにより、書かざるを得ない環境を自ら造ります。Journal論文には締め切りがないので、強い意志で始めなければ、いつまで経っても書くことはできません。一方、学会発表の論文は締め切りがあるので、それに強制されることで書くことができます。これまで書いた3冊の書籍もそうでした。まずはこのホームページで出版することを宣言して、それを実行しています。ここでは宣言していませんが、研究室では宣言した上で、すでに教科書を1冊執筆しました。現在、出版社で編集中です。今年度中には出版される予定です。

 強制されれば、人は嫌々ながらも、それに従う傾向にあります。でも、本当に嫌なら、嫌だとはっきり言った方がいいでしょう。私は基本的に気が進まないものはやりません。なぜならば、やる気が出ないからです。ただし、仕事は別です。給与を貰っている限り、その範囲の義務は当然果たします。一方で自分がやりたいと思ったことに拍車を掛けるために、まずは、「公言」します。したがって、私の「有言実行」は、「公言実行」になります。備忘録でした。