俯瞰力について日本人再考日記日高見国

春夏秋冬

 また新しい年度が始まりました。私も残すところあと1年で定年退職です。35年以上同じ職場に務め、45年近く同じ場所に通っていました。ほぼ半世紀になります。よくも飽きずにやって来たというところですが、正直、最近飽きています。さて、4月になれば、春になるのが日本です。たぶん、みなさんにとって、一番好きな季節かもしれません。でも、私は花粉症のため、せっかくの季節が必ずしも盛り上がりません。日本には四季があります。他の国にもあるでしょうが、日本の四季ほどダイナミックな四季はそれほどない、というよりは、世界でも唯一無二だと思っています。日本の四季は日本人そのものだと思っています。もし、日本に四季がなかったら、いまのような日本人は存在し得なかったでしょう。

 3万年前に遺伝子的に確立された種族が、大陸を移動して東にやって来ました。その後、2万年前から始まった温暖化で海面が上昇してゆき、東の小さな島国に閉じ込められました。それが、縄文人のルールだとされています。閉じ込められた島には四季があり、気温差があるため、生態系が1年周期的で変化します。いまのように、温室栽培や冷蔵庫はありませんから、春夏秋冬で食べられるものが違います。また、稲作もまだ始まっていない時代ですので、非農耕型定住生活をしていました。住んでいるところは同じですが、季節ごとに獲れる食べ物を得るために、山へ行ったり、海に行ったり、ハラで粟(アワ)などの穀物を栽培したり、栗(クリ)の木などを育てて、秋に栗の実を収穫していたようです。ちなみに、栗の木は建築物にも使われて、その代表的なものに、三内丸山遺跡の六本柱があります。

 稲作のように大規模な定置栽培ではないので、ある特定の場所に縄張りを持っていても、あまり意味がありません。したがって、みんなで協力しながら、季節ごとの食べ物を収穫するしかありません。このような環境では、部落間の争いはメリットがなく、逆効果でしょう。みんなで協力(分担)しながら収穫していたと推測します。季節ごとに違う様々な収穫物に感謝しながら生きていくうちに、それらに畏敬の念を抱き、神の存在を意識して、八百万の神信仰が始まったのでしょう。それがいまの神道にも繋がっています。この信仰は単なる信仰ではなく、1万年以上続いた縄文人の生活の中で、遺伝子化していったと私は確信しています。食べ物だけでなく、突如起きる地震や火山の噴火、台風や大雨による洪水、そして大地を照らす太陽にも、神の存在を意識していたのでしょう。

 たまたま住み着いた小さな島国の自然環境による長年の影響で、縄文人の遺伝子はマイナーチェンジしながら、それがいまの日本人に繋がっているのでしょう。約6千年前に始まったとされる三内丸山は約千5百年続いた後、寒冷化に伴って、次第に縄文人はいなくなったとされています。全員死滅したというのは考えにくいですから、当然、南下したのでしょう。あいにく、その後、有史の時代まで何が起きたのかは、いまだによくわかっていません、というよりは、よく調べていません。でも、わかっているのは、紀元前後から東北地方には、蝦夷と蔑まれて呼ばれていた、入れ墨をした民族が住み着いていたということです。その代表的な部族長が、阿弖流為でした。阿弖流為は、大和朝廷の侵略により処刑され、蝦夷は滅びたとされています。

 阿弖流為など蝦夷の人たちが、縄文人と同じ種族だったのかどうか、必ずしもはっきりしていませんが、遺伝子解析が進歩して、Y染色体ハプログループの分類では、3万年前に大陸を移動してきた種族は、D1a2aタイプであり、これは現在の東北人の多くが持つ遺伝子タイプです。阿弖流為が縄文人の子孫であったと考える方が自然でしょう。その蝦夷を滅亡させたとされる大和朝廷を支配した民族のルーツは、はたしてどんな遺伝子を持っていたのかは、いまだミステリーなところです。今後、それも探求してみます。少なくともいえるのは、歴史の教科書に書かれているような、弥生人(渡来人)だったという単純な話ではなさそうです。いずれにせよ、東北人を自称する私が言うのも何ですが、東北人はこの島国の春夏秋冬が造り上げた固有の民族である、ということです。