日本人再考日露戦争とロシア革命

日露戦争とロシア革命

 1900年に清で起こった義和団の乱の混乱に乗じて、西洋の大国が北京になだれ込み、紫禁城が占拠されたため、清皇帝と西太后は西安に逃亡しました。その隙を狙って、ロシア帝国は満州に進行して、さらには朝鮮半島にまで進出しようと企てました。それを阻止するために日本は朝鮮半島に進行して、日露戦争が始まります。そもそも、これまた朝鮮半島に進行しようとしていた清を、1894年の日清戦争で日本が勝利した結果、遼東半島を割譲するはずでした。ところが、ロシアが清をそそのかして、清はその借地権を渡してしまい、そこに鉄道を引いていたのがロシアです。その鉄道を守る名目で、満州に進行して、結構ひどいことをしたことは闇に葬られています。朝鮮半島に進出してくれば、日本の喉元にロシアが出現することになりますから、日本がそれを阻止することは地政学的には当然であったと推測します。1904年に日露戦争が起き、奇跡的に日本は勝利しました。でも当時、日本には大国ロシアと戦争をするための十分なお金はありませんでした。そこで、日銀副総裁だった高橋是清は、金策のため、渡米英しました。英国の銀行を支配していたユダヤ系金融資本家のロスチャイルドに500万ポンドの融資を打診しますが、断られます。でもその後、同じユダヤ系金融資本家のヤコブ・シフから、融資を取り付けることができ、そのおかげで日露戦争に踏み切ることができたことは公の事実です。なぜならば、日露戦争後、日本への多大なる貢献が称えられて、ヤコブ・シフは明治天皇から旭日大綬章を授与されています。

 日本に多大なる貢献をしたことは間違いないヤコブ・シフなのですが、ロシア革命を先導したレーニンなどにも多額の資金援助をしていました。ロシア帝国では、1880年代と1900年初頭に大規模なユダヤ人排斥運動(ポグロム)が起き、多くのユダヤ人が迫害を受け、国外に脱出しました。もともとはそのきっかけとして、ロシア皇帝アレクサンドロス2世の暗殺が深く関わっているとされています。先に、紀元70年にユダヤ王国がローマ帝国に滅ぼされて、ユダヤ人は世界に離散したことを書きましたが、それよりも昔の前586年にユダ王国がバビロニアに滅ぼされて、いわゆるバビロン捕囚された後も、税を払えば比較的自由に生活できたことから、バビロニアの地で東西交易により財を得ていたとされています。前538年にアケメネス朝ペルシャのキュロス2世により、バビロンは占領されて、捕囚されていたユダヤ人は解放されました。その後にユダヤ王国も再建されるのですが、多くのユダヤ人はそのままバビロンに残りました。離散したユダヤ人は流浪の民のように思われていますが、特に、西暦622年にムハンマドが開祖したイスラム教を信仰するイスラム社会は、蔑みつつも他宗教に比較的寛容であったことから、多くのユダヤ人はイスラム社会で共存していきました。特に、オスマン帝国が勢力を拡大していた中世には、地中海方面にも通商ネットワークを拡大していきました。その後、交易で培った金融の手腕を買われて、欧州の領主や貴族から、土地やお金の管理を任されるいわゆる宮廷ユダヤ人も出現しました。ロスチャイルド家もその一つです。

 薄っぺらな知識で、ユダヤ人のことをここで解説するつもりは毛頭ありませんし、ここで書いていることが真実かどうかも保証できません。ただ、我々がユダヤ人と一括りにしている人たちには、実はいろんな宗派があるということを知りました。もともと、アブラハムを初めとするユダヤ人は中東のセム語族が由来であるのに対して、地中海沿岸の国々に移住して、その後ライン川沿いの都市に拠点を置いたユダヤ人はアシュケナジ(ヘブライ語でドイツの意味)と呼ばれ、ロスチュイルド家もドイツのフランクフルトに暮らしていたごく普通のアシュケナジ系ユダヤ人でした。現在、世界中に多大なる影響を与える一族に変貌するのですが、それについてはまた別の機会にするとして、アシュケナジ系ユダヤ人は、オスマン帝国が弱体化し代わりに台頭したキリスト教社会で、異端として迫害されるようになります。迫害を逃れて、ユダヤ人に寛容だったポーランドにたくさん移住しました。ところが、そのポーランドが、周りのプロイセン、オーストリア(ハプスブルグ)、ロシアによって、1795年に3つに分割されてしまいます。そんなロシア住民になったユダヤ人に対して、ポグロムが起きました。1917年のロシア革命により、ロシア皇帝ニコライ2世のロマノフ朝は崩壊して、1922年にソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が誕生します。みなさんは、共産主義と聞くと、国民みんな協力して国家を運営していくようなイメージを持ち、ロシア革命も国民が立ち上がって実現したと思っているかもしれません。ロシア革命の根底にあったボルシェビキ思想は、暴力革命です。そして、ロシア革命を実際に主導したのはユダヤ人です。このことから、本当に国民のための革命だったのか、それともロシア系ユダヤ人へのポグロムに対する復讐だったのか、建国時におけるソ連の政府主要メンバーもユダヤ人で占められていた辺りで、ロシア革命の真実が見えてきます。

 高橋是清に多額の資金を援助して、ロシア革命にも資金を投入したアシュケナジ系ユダヤ人のヤコブ・シフ。実は日本でも、幕末来航したペリーがロスチャイルド家と深いつながりがあったとか、さらにはフランクリン・ルーズベルトとも深いつながりがあるとかいわれています。アメリカ元大統領のフーバーは回想録で、太平洋戦争を企てたのは、一人の凶人の大統領とその取り巻きの共産主義者だとはっきり書いています。その大統領が、フランクリン・ルーズベルトです。ロシアでポグロムにあったユダヤ人の多くがアメリカにも移住しており、ルーズベルトの取り巻きになったとしても不思議ではありません。共産主義革命とはいったい何だったのか?戦後、G○Qは当初、日本を共産主義国にしようとしていました。話は現在進行中のウクライナ・ロシア紛争にも繋がります。ウクライナはポーランドとロシアの間にある国です。ウクライナにはいまでもウクライナ人とともにアシュケナジ系ユダヤ人が多く住んでいます。そしてロシア人も住んでいます。すると、ウクライナ人とロシア人との紛争のように見えているいまのウクライナ情勢が別の視点から見えてきます。世界のそれぞれの地域における、民族、宗教などの真の歴史を知ることで、いま世界中で起きていることの真実が初めて見えてきます。