価値観について俯瞰力について日本人再考日本文化を俯瞰

日本文化を俯瞰

 いま、京都が日本ではなくなってしまったということはよく聞きます。私もすでに、十年以上前に京都に行って金閣寺を見たときは、あまりの様変わりに愕然として、もう来るのは止めようと思いました。外国人観光客でごった返していたのを記憶しています。金閣寺は外国人観光客にとっては一番人気であることはよくわかります。でも拡声器を使って大声で団体観光客を案内する姿は、たとえ日本の修学旅行で団体が移動しているときにもあまりお目にかからないでしょう。金閣寺や清水寺はともかくとして、たとえば、龍安寺の枯山水を見た外国人は何を思うのでしょう?侘び寂び(わびさび)と聞いて、どのような印象を持つのでしょうか?入口の小さな枯れた家屋の狭い畳の部屋に靴を脱いで入り、抹茶を点てる姿を見て、それをゆがんだ茶碗で飲んで、何を感じるのでしょう?日本の文化を感じて、ご帰国されるのであればいいのですが。映える写真や動画をスマホで撮りまくっているだけでしょうか?

 日本に観光に来る外国人を批判するつもりはありません。当然理解しようと来ている人もたくさんいると想像します。それぞれの国には、何かしらそれぞれの文化があるでしょう。戦争も一つの文化だと言っている人もいます。文化とはどのように形成されるのでしょうか?少なくともいえるのは、数年程度で形成されるものではありません。日本の食文化は縄文時代から培われています。幸い、島国で他民族から支配されず、1万年以上続くことができました。それぞれの国の文化の存亡は、その国の存亡と直結しています。いろんな文化が生まれても、その国が滅びれば、文化は継承されません。古代文明を築いた、メソポタミアのシュメール人やエジプト人、紀元前のギリシャ人が築いた文化も遺跡や文字でしか残っていません。宗教も文化だとすれば、ユダヤ、キリスト、イスラム教はいまも続いています。でも、キリスト教を信仰していた中世ヨーロッパでは、神が絶対であり、人に価値を見いださない時代であり、はたして文化という言葉が当てはまるかは疑問です。

 やはり、文化は人が造るものであり、神が与えるものではありません。西洋で文化が再生したのは、ルネサンスになってからです。人の価値が見直され、絵画や音楽の芸術家も生まれました。中世では名前すら付けられなかった絵画にも芸術家としてサインすることができるようになりました。中世まではラテン語でしか教えていなかったキリスト教が、マルティン・ルターにより、ドイツ語に翻訳されて、グーテンベルクの活版印刷も手伝い、本として大量に印刷されて、さらには音律のある聖歌のおかげで、一般庶民にも聖書が広く普及しました。結果的に、キリスト教は、カトリックとプロテスタントに分化しました。このときにキリスト教も文化になったのかもしれません。日本で縄文時代から1万年以上受け継がれた文化として、八百万の神信仰がそうであり、思いやりの精神がそうです。思いやりの精神はその後、武士道に繋がります。武士道とは刀で戦闘する精神ではなく、自らを犠牲にして、利他の心で家族や社会を守る精神です。日本人にしかない精神であり、まさに日本だけの文化です。

 第二次世界大戦後、日本は敗戦によりGHQの支配下となりました。イギリスやアメリカが行ってきた悪行(植民地政策)の数々を戦前に記した日本の書籍や、神道・天皇そして日本の歴史が記された貴重な本が、7千冊以上、焚書されました。その中には、日本人が受け継いできた大切な日本人の精神が記された本がたくさんありました。GHQは日本人の精神世界を抹殺したかったのでしょうか?一方で、この戦争の悪行は日本の軍国主義者によってなされたという宣伝(洗脳)活動により、日本人に自虐史観を受け付けて、結果的にアメリカが日本を救った、あたかも救世主であったとする印象操作を続けて、実は今日に至っています。戦前焚書された書籍は、国立国会図書館には1冊ずつ残っています。でも、一般庶民がそれを見ることはありません。秦の始皇帝が行った焚書坑儒と同じことを、日本に対しても行いました。自分たちが正義だとすれば、焚書などする必要はないでしょう。むしろ、悪行を行った日本で記された書籍を、世にさらせばよかったはずです。焚書や文化の破壊は明らかに文明に対する犯罪です。この失われた7千冊の書籍が戻ってこないと、日本文化をちゃんと俯瞰することは不可能です。