お散歩コース紹介仙台再発見

支倉橋と澱橋

 前回、天和3年(1683)には「支倉橋」と呼ばれた橋があったところで話が終わりました。その続きになります。天和3年の古地図から、支倉橋があった場所周辺を取り出しました。

 地図の右下の辺りに中州を挟んで架かっているが支倉橋です。その北には、支倉通があり、地図の上付近の北山方面まで繋がる道になっています。支倉通には、北一番丁通りが繋がり、北二番丁通りから北六番丁通りが交叉しているのがわかります。この辺には多くの武家屋敷があったものと思われます。支倉橋の北側にある広瀬川岸壁付近は、支倉丁と呼ばれていたようです。また、支倉橋南側も、本?元?支倉丁、もしくは支倉丁と呼ばれていたようです。ここは現在の川内地区に当たり、明治13年の地図には、川内元支倉丁と記載されていました。支倉橋は度重なる広瀬川の洪水の影響で何度が流されて、たぶん岸壁も崩落したため、元禄7年(1694)を最後に再建されていません。私が入手した古地図が天和3年(1683)ですから、ほぼその10年後になくなったことになります。支倉丁の由来は、ここに「支倉」性の武家が住んでいたことらしいですが、それが支倉常長なのか、それともその親族なのかははっきりしていないようです。ちなみに、支倉常長の墓は、奥州街道の北端にある青葉神社の隣にある東昌寺にあります。支倉丁から支倉通を北にいったところですから、何かしら関係があるのでしょう。支倉橋は、支倉通沿いに住む武家や商人が、お城との行き来する際に、使われた幹線道路に架かる橋だったようです。

 天和3年の古地図には、四ツ谷用水本流もはっきりと記されていました。大崎八幡宮の入口付近を通り、八幡町の北側を通り、その後、北六番丁通りに沿って造られたことがわかります。北六番丁通の東側には、この「仙台再発見」のきっかけになった、上杉山橋も架っていました(この地図からははみ出しています)。

 もう一つ興味深いのは、中町段丘の縁と思われるところに深い谷があり、そこを川が流れていたことがうかがわれます。川は現在の知事公舎がある西隣辺りで広瀬川に流入しています。この谷の影響で、八幡町(地図には、八幡門前町と記載されている)の八幡町通りはその谷の手前で行き止まりになっています。代わりに、中島丁通りが谷の手前で北側に直角で迂回して、その後、谷を跨いで、土橋通と北三番丁通りと繋がっているのがわかります。中島丁の南には、広瀬川沿岸に、角五郎丁があります。主に足軽衆が住んでいたようです。以前、私はここにある公務員宿舎に住んでいました。この辺りも、度重なる洪水で家屋が水没していたようです。

 それでは続いて、現在の地図を見てみます。例によって、Google Mapからいただきました。まずは、支倉橋はいまはありません。その代わりに、元禄7年(1694)以降、支倉橋があった場所より少し上流に、澱橋ができました。澱橋も何度が洪水で流されたようですが、現在も広瀬川北側と南側を繋いでいる大事な橋です。澱橋のさらに上流には牛越橋ができています。澱橋と牛越橋の間には、広瀬川沿いに、広瀬川澱緑地と呼ばれる公園があり、また公園に沿った堤防の上には遊歩道があります。この堤防も度重なる洪水を防ぐために最近(戦後?)造られたものです。ここは片道1キロ程度の歩道で、ジョギング場所として多くの方が利用しています。私も以前この辺に住んでいたこともあり、仙台市内の公園では一番好きなところです。

 最後に、以前から不思議に思っていて、すでに書いた話ですが、今回確信を得た、「広瀬町」付近についてまた書きます。現在、澱橋から土橋通には道が直接繋がっていますが、少し前までは、北三番丁通りのところで途切れていました。そのため、澱橋方面から、八幡町通り(北四番丁通り)に入るためには、一旦、北三番丁通りを西側に約90度迂回しなればなりませんでした。なんでまた、こんな変な道になっているのかが不思議だったのですが、元禄3年(1683)の古地図を見て、納得しました。もともと、途中で途切れていた八幡町通りが、まずは北三番丁通りに繋がり、その後、仙台市電の開通に合わせて、八幡町通りが北四番丁通に繋ぎ変えられたことが原因である、とわかりました。土橋通と北三番丁通りが交叉する西側付近に通りはなく、もともと武家屋敷があり、そこには住民がいたことから、北三番丁を西に迂回する道を通らざるを得なかった模様です。現在は、土地の買収も完了して、土橋通と澱橋北側の通りはほぼ直接で繋がっています。

 広瀬川澱緑地は、季節の植物もたくさん自生しており、お散歩コースには穴場の存在です。行くのが少し面倒ですが、地下鉄東西線を「国際センター」で降りて、宮城県立美術館がある方向に向かい、さらに澱橋まで行けば、橋の上から西側に望めます。一方、橋から東側を見ると、仙台市街が臨めるフォトスポットです。広瀬川澱緑地は橋を通った後、西側に降りていけば行くことができます。また、広瀬川澱緑地の西端にある牛越橋付近は、秋になると芋煮会で賑わう、仙台人にとってお馴染みのところです。一つだけ注意してほしいのは、近くにトンビが飛んでいます。公園のベンチでおにぎりなどを食べていると獲られます。というか、獲られたことがありました。トンビの縄張りである中州(いまはない?)を歩いていたら、頭をドツかれたこともありました。