性悪説
性善説と性悪説。言葉だけは聞いたことがあるかと思います。もともとは、司馬遷の史記にも書かれた、古代支那(紀元前4百年頃)の戦国時代の儒家思想家、孟子と荀子に由来する思想ですが、ここではそこまで遡っては書きません。みなさんも、この二つの言葉を聞いて、性善説は、人は生まれながらにして善人である。性悪説は、人は生まれながらにして悪人である、程度の意味合いで捉えているかと思います。ここでは、それで結構です。日本人は、騙したヤツが悪い、と普通思います。でもこれは例外的で、むしろ、騙されるヤツが悪い、というのは世界の常識です。この違いを理解しないと、外国人とはうまく付き合えません。この違いが、いわゆる、性善説と性悪説に繋がります。なぜこのような違いが生まれたかは、縄文時代に遡ります。それについてはすでにたくさん書きました。島国である日本ならではの風土が関係していたことは間違いありません。
道に落ちているお財布を拾ったら、警察に届けるというのが、いまでも日本人に植え付けられている、いわゆる「おこない」です。でも、空港で放置したスーツケースは落とし物で、拾った人の物である、と考えるのが世界標準です。以前にも書きましたが、新幹線ホームのキオスクで、外に置いてある冷蔵庫の中からビールを取り出して、そのまま持っていった外国人を見たことがありました。日本では田舎に行くと、野菜の置き売りを見ることがあります。「お金はこの箱にお入れください」と書かれています。日本人なら、たぶんほとんどの人は正直にお金を入れて、欲しい野菜も貰っていくはずです。似たようなものは他にもたくさんあります。外国人が地下鉄などに乗って一番驚くのが、一人で通学している小学生だそうです。海外ではあり得ないことで、仮にそのような小学生がいたら、連れ去られてしまっても、親の責任になります。アメリカでは、車に子供だけを乗せていると、犯罪になります。
このような違いがある中で育った人たちは、仮に日本に観光に来たとしても、自分の行動に何ら違和感を感じることないでしょう。道端にゴミを捨てても平気でしょうし、大声で話していたとしても普通の行為なのでしょう。それが、日本人に不快感を与えているなどとは想像もしないでしょう。いま、日本の観光地はオーバーツーリズムで、手の施しようがない状態になってしまいました。お金を落としてくれるのですから、基本的には感謝すべきことでしょうし、地元のお店にとってはいい収入源でしょうから、文句は言えないでしょう。たぶん、外国人は、お金を払っているのだから、自分たちはお客で歓迎されるべきだと当然に思っているのでしょう。他人に迷惑をかけない。普通の日本人なら常識ですが、油断すると殺されてしまうかもしれない大陸の人たちには、性善説は理解できない思想なのかもしれません。
そんな人たちを、見かねて抗議する人たちもいます。でも、なぜ怒られるのか、相手はわからないかもしれません。なぜならば、生まれてからこれまで育った環境が、その人たちの価値観を決定付けているからです。そのようにそれぞれ価値観が違う、ということをもう少し、それぞれの人たちが配慮しながら、相手に接する心がけがあるといいのですが、これも性善説から来る考え方になるのでしょう。さて、このような人たちに、どのように接すればいいのか。因果応酬という言葉があります。仏教用語です。要は、そのような人たちは放っておけば、いずれ罰が当たる、という教えです。はたして、皆さんはそのようにすることはできますか? 神様、仏様ではありませんから、どうしても気になってしまいます。でも、よーく考えてみてください。そのような人たちが気になるということは、自分はまだ性善説に従っているということです。本来の日本人だということです。
誰かに迷惑を掛けているということが、自分ではわからなくなったり、気にならなくなったとき、あなたはもはや、本来の日本人ではなくなったということを意味します。なお、本来の日本人とは、縄文由来の日本人のことです。