思考と人相
思い、考える、と書いて、思考。思い考えているのは、自分です。他人が何を考えているか自分ではわかりません。他人は自分が何を考えているかはわかりません。すると、思考というのは、完全独立したものになります。それぞれの思考をすり合わせるためには、会話や文章に変換しなければなりません。他人には決して言えない思考もあります。我思うゆえに我ありと、デカルトが言うように、たしかに、思考しないと、自分が自分であることを認識できません。ゲジゲジや蜘蛛が自分を認識しているかと言われれば、たぶん認識していないでしょう。思考は大脳が発達した人間、あとは一部の高度な哺乳類だけがなせる技です。
思考するゆえ、人は悩み、苦しみ、悲しみ、そして喜びます。ただし、怒りや恐れはもともと防衛本能に由来しますから、小脳辺りで発生する電気信号かもしれません。感情を伴う思考を繰り返すことで、それが物理的に自分自身に影響を及ぼしている事例はいくつもあります。たとえば、人相。人間は固有の遺伝子を持ってこの世に生まれます。それぞれの人間の遺伝子レベルでの違いは、0.1%程度です。それでも、十年も生きていると、みんな違った個性を形成します。その一つが人相です。遺伝子レベルでは親に顔が似てくるのは必然ですが、それ以上に、顔にはいろんな深みが生じてきます。笑顔が絶えない人、泣き虫な人。怒りっぽい人。悩んでいる人、どうでしょうか?これらの人たちは、これらの感情に合わせて顔の筋肉を使いますから、それが、目尻になったり、しわになったり、ほっぺたの膨らみになったり、口の歪みになったりして、人相に現れます。
腹黒い人も、その思考が結果的に人相によく現れます。腹黒い人はお金にも目がありません。毎日、高級で高カロリーな食べ物を食べ、高いお酒をたくさん飲んでいると、肥満にもなり、脂ぎった体質になって、それが人相にも現れます。概して、腫れぼったくて、すっきりしない人相です。不思議とそのような人たちの人相が同じように、私には見えてきます。逆に言うと、人相を見ることで、この人はもしかして、腹黒い?、と思えたりします。その人たちにとっては、それが幸せな生き方なのでしょう。良かれ悪しかれ、思考は結果的に人相となって顔に現れます。そして、その顔を自分は鏡で毎日見ます。どうでしょうか、そのような顔を毎日見ていると、それがまた自分の思考を助長します、すなわち、悪循環に陥ってしまう恐れがあります。
ああ、もういやだ。ああ、疲れた。本当に頭にくる。アホくさくて、やってられない。この馬鹿野郎。こいつ死んじまえ。やる気がしない。面倒くさい。もうだめ。死んだ方がマシ。どうせ自分は。アイツがうらやましい。どうしてできない。どうにもならない。ああ、やーめた、・・・。これらのうち、いくつかはこれまでに思ったことはあるはずです。私もそうです。でも、よーし、やってやる。まあ、どうにかなるだろう。そんなの気にしない。お幸せに。ありがとう。めちゃくちゃ面白い。アイツは良いやつだ。だーい好き。為せば成る、・・・。同じ思考でも、前者とは全然気分が違います。良かれ悪しかれ、これらの思考は結果的に人相になります。そして、その人相を鏡で見ることになります。さて、どちらの思考がお好きですか?
仏頂ずらしないで笑顔で、と言われる人がいます。好きで仏頂ずらしているわけではなく、自然にそうなってしまう。笑顔でといきなり言われて、笑顔にすると変な笑顔になる。笑顔は自然に出てくるものだと、思っている。でも、この人には一生出てこないでしょう。なぜならば、悪循環に陥った人だからです。笑顔になるためには、まずは笑顔を造るところから始めなければなりません。鏡の前で、意識的に笑顔を毎日造れば、いずれ自然に笑顔が似合う人相になる。かもしれません。そうすると、思考も自ずと変わってくる。かもしれません。