人生について俯瞰力について処世術について心の余裕と俯瞰力

心の余裕と俯瞰力

 授業に振り回されたり、バイトに振り回されたり、彼女に振り回されたり、仕事に振り回されたり、子育てに振り回されたり、すると心に余裕がなくなります。昔、「彼女が海外旅行に行くのに、一緒に行ってくれないと自殺する」と言っていると私に相談してきた学生がおりました。修士論文をそろそろまとめなければならない大切な時期です。みなさんどうでしょうか、このように言われたら? この時期に海外旅行などもってのほかだ、と言えますか? 万一、本当に自殺でもされたら取り返しのつかないことになります。結局、認めましたけど、嘘をつくなら、相手を脅迫するような嘘ではなく、もっとまともな嘘をつけと思いました。その頃、彼が頻繁に廊下で電話しているのを私は目撃しています。彼の頭の中の99%は彼女で占められていました。それでは研究のことを考える余裕はありませんね。この時点で自分自身が俯瞰できない、盲目状態になっていることがわかります。海外旅行に彼女を連れて行きたかったのはむしろ彼の方でしょう。就職後、彼は彼女と結婚しましたが、しばらくして、私のところに来て、愚痴をこぼしていました。さらには就職した大手企業を辞めて、地元近くの企業に転職しています。

 でも、年をとると、だんだん、振り回してくれるものが減ってきます。子育ても一段落し、親の面倒も見る必要がなくなると、家族の心配事は減ります。仕事も定年が近づいてくると、新たに覚えなければならないことも減ってきます。だんだん、頭と心の中に余裕、というよりは隙間が増えてきます。若い時から常に忙しくて心の余裕がなかったと思う人ほど、年をとると、この隙間が逆に気になってしまうのかもしれません。私も、これまでの40年間はまさに、研究に追われてきた人生でした。常に頭の中は研究のことばかり考えていました。幸い好きだったので、苦痛に感じることはありませんでしたが、不思議なもので、いざ心に余裕ならぬ心の隙間ができてくると、何か物足りない感覚に襲われます。早くこの仕事から解放されて、あとは悠々自適の生活がしたいと思っていたのが、いざそのときが近づいてくると、逆に忙しかった時が妙に懐かしくなったりして。何かで穴埋めなければならないと思っているうちに、かえって疲れてきます。

 心の余裕は、はたして時間ができたから出てくるものなのか、たしかに時間に余裕ができるとだいたい私はぼーっとしているように思います。このぼーっとしている時間が心の余裕であると言われれば、たしかに間違いではないのですが、なんかちょっと次元が違うような。不思議なのは、忙しくしているときの方が、脳が活性化しているせいか、別のこともやりたくなります。ぼーっとしているときは、脳がほぼ停止している状態ですので、他のことをやりたいとは思いません。暇なときは、まさに暇になってしまうようです。好きなことをやっているときは、嫌なことも忘れて、時間が経つのも忘れて、みなさん没頭していませんか? そんなとき、改めて心に余裕を求めたりはしないと思います。誰にでも嫌なことは1つや2つあるはずです。意外と、ひまになった途端に、忘れていた嫌なことが、脳裏をまたよぎり出したりします。好きな趣味をやっていれば、一時でも嫌なことは忘れることができます、

 嫌なことがあると、脳裏にまとわりついて、ついついイラつく。それを早く解決したい、早く忘れたい。これが心に余裕がない状態だとすると、根本的な原因を取り除くか、思い出さないよう一時でも忘れるしかありません。そうしますと、好きな趣味に没頭しているときの方が、心に余裕がある時ということもできます。私は、研究が趣味になっていたこともあって、これが老後も続けられればいいのですが、あいにくプログラミングは、肩、目、頭が疲れますので、年寄りの体に良いとは思えません。正直、健康上は止めた方がいいです。これに変わる趣味はいまのところありませんので、一生続けられそうな趣味をいま探しています。嫌なことをすべて取り除くことは無理かと思います、みなさんも、趣味を一つでも多く見つけて、それに没頭できる時間を少しでも増やしましょう。実はその時こそ、心に余裕ができ、周りが俯瞰できるようになるのかもしれません。