工明会運動会

工明会運動会

 東北大学機械系に入学して、その後3年の時に機械工学科に配属になり、さらに4年生の時、研究室に配属になりましたが、同じ学科に配属された同期は54名です。講義や実習はすべてこの単位で実施されました。そのカリキュラムとは直接関係ないのですが、工学部では年に一回5月に学科対抗の運動会があります。大学生にもなって運動会というのも何でと思われるかもしれませんが、機械工学科の熱の入れ方は尋常ではなく、私が初めて参加した3年生(4年生?)から、大学院博士課程修了まで、優勝(正確にはたしか2回ほど雨で中止)以外経験していません。いろんな種目、たとえば、短距離走、長距離走、引きの一手(綱引き)、ムカデ競争、三人三脚(三人の足をしばる)、ちょっと拝借(借り物競争)、ミス工明会、その他、多くの種目があり、どの種目でもまんべんなく1位をとらないと優勝できません。いまだったら、パワハラ、アカハラ、セクハラ?と言われてもしかたがないようなこともやっていました。たとえば、3年生をグラウンドに集合させて、50m走のタイムを測定したり、授業中に学生の体重を測定したり、綱引き、ムカデ競争、三人三脚の練習をしたりと、運動会の出場メンバーを選出していました。もちろん、陸上部の学生は短距離、長距離走出場必須です。他学科では、実験用引っ張り試験機に綱をつけて学生の引っ張り力を測定していました。それに対抗して、機械工学科では背が高く体重の重い方から並ばせて、かつスパイクのある靴を履かせて綱引きに臨んていました。三人三脚は全員足が縛られた状態でいかに速く走れるかを試行錯誤で検討した結果、二人が一人を背負って走るのがベストであることがわかりました。私も足の速さを競う競技以外はすべて出場して、練習の成果もありほとんど(すべて?)1位でした。そんな中でミス工明会は、一般の方が見学に来るほどのメインイベントでしたが、最近セクハラだという理由で廃止されたようです。これは、学生が女装してパフォーマンスするという、たしかに見方によってはバカバカしいイベントだと思われるものですが、当時はみんな真剣に臨んでおり、私も2回出場しました(正確には、させられたの方が正しい)。幸い女装は免れましたが、後輩の学生が女装しました。そのうちの1つはかなり大がかりなもので、野点を会場で再現するため、野点の道具を借りて、後輩学生は着物を着て女装して、私は私の先生から袴を借りて、男性役を演じました。女装した学生が抹茶を点てて、私が茶菓子と抹茶をいただくという流れです。私も相当緊張して演じていたせいか、茶菓子を口にして食べようとしたとき、ほぼそのまま飲み込んでしまい、危うく窒息しそうになったことをよく覚えています。努力の甲斐があり、投票の結果、1位を獲得しました。

 一見すると悪ふざけなイベントにしか捉えられないかもしれませんが、一番実感できたことは、運動会の前後で人のつながりが一変したことです。運動会前は全く知らなかった先輩、後輩、そして教員が運動会後には自然と知り合いになっていました。まして、優勝するという経験はその出会いに拍車をかけたことは間違いありません。バカバカしいようだけど、同じ目標に向かってみんなで力を合わせた経験はいまでも深く記憶に残っています。運動会後に行われる祝勝会では、優勝賞金の代わりに大量のお酒を獲得して、さらに教員からの援助でお酒が追加されて、大宴会が始まります(今はご法度か)。私が院生の時、院生会長をしたことがあり、その際の祝勝会では、院生会長は次々と注がれるお酒を飲まなければならず、これまでの人生で唯一、お酒で潰されました。当時、工明会運動会の日には、工学部に救急車が待機していましたが、幸いそれのお世話になることはありませんでした。経験した学生にとって、運動会でのつながりは卒業後に生かされているはずです。就職先でOBが出会えば、運動会の話題は必ず出てくると思います。一見無駄な経験でも長い目で見れば、人とのつながりの上で運動会は大切なイベントであったかもしれません。そのような趣旨でやっていたとすれば、なかなか戦略的なイベントということもできます。工明会運動会はいまでも続いているようですが、いまは私自身まったく参加していませんし、その位置づけも昔とは様変わりしているようです。