人生について価値観について小栗忠順がいない日本人再考

小栗忠順がいない

 いまの世の中、お金儲け至上主義が蔓延っています。悪いことをしてお金儲けを企んでいる人たちは昔からいましたが、最近はいわゆるエリートと呼ばれる人たちもお金に目がくらんで、いろいろ画策しているように感じますが、私だけでしょうか? おまえもエリートの一人だろうといわれそうですし、大学教授ならそのように思われるのかもしれませんが、私はいまやっている研究が好きでそれをずーとやっていたら、結果的にこの職に至っていただけで、「エリート」というよりは、「オタク」です。そもそも、「エリート」という言葉の語源はフランス語で、「公的に優れた人たち」を指します。大学教授もそうかもしれませんが、一般的にはいわゆる、「お役人」で、日本でいえば、中央官僚などがそれに当たるでしょう。国会議員もそれに当たるかといわれれば、みなさんご存じのように、それに当たりそうな議員の名前を挙げることはできますか?日本の官僚が私利・私欲で仕事ができるかといえば、公務員ですので、幸か不幸かそれは禁止されています。将来天下ってから、そうしようと思っている人たちはいるでしょう。

 小栗忠順(おぐりただまさ)という人はご存じでしょうか?小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)の方が名前は聞いたことがあるかもしれません。お恥ずかしながら、私もつい最近まで知りませんでした。江戸の末期、徳川幕府に仕えた役人で、勘定奉行を務めていました。勘定奉行は、今でいえば、財務省の主計・主税局長に当たります。もともとは剣術に長けた武士ですが、勘定の才能を見いだされて勘定奉行に推挙された人で、いまでいう文武両道のエリート(テクノクラート)です。時はペリー来航の1853年以降、イギリス、フランス、ロシア、アメリカなどから日本は開国を迫られ、安政の大獄で知られている井伊直弼が、これらの国から押しつけられた、かなり不平等な通商条約を締結しました。これにより、イギリス資本の銀行などもどんどん入り込んできました。そんな中、ペリーの後任で着任したハリスは、通商条約にある通貨の「同種同量交換」の取り決めで、その時海外で流通していた洋銀1ドルと日本の一分銀を交換する際に、一分銀は洋銀1ドルの3分の1の重さなので、洋銀1ドルと一分銀3枚を交換しろと主張します。ただ日本は当時、金本位制で、小判1枚(1両)が一分銀4枚と等価に定められており、実際は重さが3分の1の一分銀が洋銀1ドルと等価だったわけです。重さを同じしろということですから、交換するだけで3倍の儲けになります。ハリスら外国人は何をしたかといえば、洋銀1ドルと一分銀3枚を交換して、その一分銀を小判と交換したわけです。ボロ儲けですね。

 こんな不平等な取り決めはアメリカ本国で訴えるべきと、小栗は黒船でアメリカに行き、粘り強く交渉しました。その結果、アメリカ側にその間違いを理解させることができました。ところがなんと、その非を認めることはできないと、訴え自体は認められませんでした。歯に衣着せず正論を言う小栗は、幕府の老中や一橋慶喜(後の徳川慶喜)からも毛嫌いされて何度も罷免されますが、勘定奉行としての無二の才能ゆえ再び任命されることを繰り返します。徳川幕府のため、お金のやりくりに鞠躬尽力していた、まさに武家ゆえの利他の精神を持ったエリートです。慶喜は、岩倉具視や大久保利通の偽勅にだまされて大政奉還、そして王政復古の大号令、さらには薩長の挑発に乗って鳥羽・伏見で争いを始め、戊辰戦争へと至ります。大将なのにすぐ逃げ出してしまいましたが。その中で、小栗は薩長軍を撃退する秘策も進言しますが、慶喜は受け入れませんでした。もしこの策を講じていたら、戊辰戦争は起こらず、その後の日本もまるで違っていたことでしょう。残念ながら、進軍してくる薩長倒幕軍に追われた小栗は、家族を守るため最後は自ら処刑される道を選びました。

 金儲けのためインチキして儲けていた外国人たち、利己で行動した慶喜、そして幕府のために尽力し、最後は自ら処刑される道を選んだ小栗忠順。どうですか?昔、そんな日本人がこの国にもいたことを知ると、いったい今の日本は何なのか、と思いませんか?実は、小栗の卓越した才能はアメリカでも高く評価されていたそうです。一方のハリスについては、帰国後、アメリカの恥さらしといわれて、不遇の晩年を過ごしたことはあまり知られていません。金儲けのために政治家になる人たち。天下りで金儲けしたい官僚。研究費の獲得に明け暮れしている大学教授。みんな小栗が持っていた武士道の精神を知らないでしょう。聖書には、「お金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の孔を通るよりむずかしい」と書いてあることを、外国人のみなさんも忘れてしまったのでしょうか?日本人の心の根底には、小栗忠順が持っていた利他の精神が根付いていると私は信じています。前にも書いたとおり、日本人のルーツは3万年前に始まり、縄文文明は1万6千年前には始まりました。その間に利他の精神が根付きました。こんな民族は世界中どこを探してもいません。小栗忠順が、もし別の時代、たとえば戦国時代に生きていたら、まさに軍師として主君の勝利に貢献して、日本の未来も変わっていたでしょう。