宮沢賢治全集
Kindle Unlimitedをサブスクして、気の赴くままに本を選んで日頃読んでいることは、すでに書きました。大体は、通勤の地下鉄の中で読んでいます。本当に読みたい本は、Kindle Unlimitedでない本もたまに有料で購入しています。最近、また本を探していたところ、なんと200円で購入できる宮沢賢治全集を見つけました。すでにポイントがたまっており、思わずそのポイントを使って、タダで入手してしまいました。それで、いまその中にある童話などをランダムに読んでいます。昨年の夏に、花巻にある宮沢賢治記念館に行ったことも書きました。もともと当初の目的ではありませんでしたが、たまたまです。2度目の訪問になります。特に、宮沢賢治が好きだったわけでもありません。すでに名前はよく知られている作家ですから、少しは知っていた方がいいかな程度でした。
1度目はそれこそまったく興味もない状態で訪れて、案の定、その時の記憶が全然なかったのですが、昨年2度目になる訪問は、縄文や日高見国などに興味を持った延長線上で訪問しましたので、いろいろ発見がありました。それについてはこちらに書きましたので、ここでは詳細は省きます。やはりそこで、宮沢賢治の生い立ちや人となりを知ったことは、宮沢賢治の作品を理解する上で大切であることを、今回全集の中の幾つかを読んで理解しました。全部読んだわけではありませんので、さらに読み続けるとまた別の解釈になるかもしれませんが、これまで読んだだけでも、宮沢賢治という作家の、作家としての思考方法が見えてきました。宮沢賢治記念館には、特に幅広い年齢の女性ファンがたくさん訪れていましたが、その理由も少し分かった気がしています。
一番の特徴は、やはり擬人化でしょう。動物だけでなく、植物なども人と同じく会話しています。猫(山猫)を筆頭に、ネズミ、タヌキ、鳥、ゾウ、挙句の果てには、どんぐりやナメクジまで喋ります。童話ですから、子供にも受けるように書いたのでしょう。でも、単なる童話には留まらない内容であることも理解しました。それぞれの話は比較的短いので1時間もあれば、いずれも読み終えることができます。でもその中に組み込まれた世界は、童話では終わらないほど、結構ぶっ飛んでいました。物書きをしている立場からすると、その空想力はどこから出てくるのか、これまで読んだ小説の中でも、ダントツかもしれません。これまでに作品をいくつか読みましたが、すべて一様に面白かったわけではありません。やはり、一般的に評判の高い、「注文の多い料理店」、「銀河鉄道の夜」は中でも空想力が群を抜いていて面白い作品であることはたしかです。
童話だけでなく、学校時代を題材にした「風の又三郎」や、農学校教員時代の「イギリス海岸」、セロ(チェロ)を弾いていた自分を比喩して書いた「セロ弾きのゴーシュ」などはその時々の生活を元にしてユーモアに書かれていました。さらには、イーハトーブと呼んでいた岩手の自然や風土が色濃く反映した「グスコーブドリの伝記」などには、農学校から教員になるまでに得られた、植物や鉱物の知識がふんだんに盛り込まれていました。いま問題になっている地球温暖化についても触れられているのには驚きでした。「オツべルと象」、「蛙のゴム靴」、「どんぐりと山猫」、「月夜のでんしんばしら」などを読んで気が付いたのは、「注文の多い料理店」や「銀河鉄道の夜」も含めて、繰返しの技法です。同じ場面が繰り返して展開する中に、それぞれの場面でユーモアを交えた空想の世界を描写するのに、いろいろ発想を巡らしながら執筆したのだろうと想像しました。中でも,これまで読んだ中で一番ぶっ飛んでいたのは、「蜘蛛とナメクジと狸」でした。敢えて説明はしませんので、興味を持った方は読んでみてください。
いずれ小説でも書こうと思っていた私にとって、宮沢賢治の空想力はとても真似の出来ないレベルであることを悟りました。広くあらゆる世代から愛される作家である所以でしょう。前にも書きましたが、「雨ニモマケズ」という詩も有名ですが、これは肺結核で病に伏していた宮沢賢治が、まさに自分に訴えるために書いた詩であることを、宮沢賢治記念館に行って知りました。岩手独特の風土と自らの生い立ちが宮沢賢治に与えた死生観の様なものも、銀河鉄道の夜やグスコーブドリの伝記などにも感じられます。時間があったら、さらにいくつか読んで、そのぶっ飛んだ空想力をさらに少しでも吸収したいと思います。