安倍氏
凶弾に倒れた安倍元総理とも、もしかしたら関係のある話です。このところ、日高見国について探索していて、その原点や中心がどこにあったのかを自分なりに想像していましたが、それは縄文文明であり、その流れを汲んでいるのが、そこに住んでいた蝦夷(えみし)と呼ばれていた人たちであると確信しました。先にも書きましたが、日本書紀には、
「東の夷中に日高見国有り。其の国の人男女並に椎結け身を文けて為人勇み悍し。是を総て蝦夷と曰ふ。亦土地沃壌えてひろし。撃ちて取りつべし」
と、4世紀に実在したとされる第12代の天皇、景行天皇の時代に、東方を視察した武内宿禰(たけしうちのすくね)が言った言葉であるとされ、日本書紀にちゃんと書かれています。男女ともに髪を結って、体に入れ墨をしていたようです。ちなみに、現在、蝦夷(えみし)を蝦夷(えぞ)と呼び、そこに元々住んでいた人たちは、アイヌ民族であるとの固定観念があります。これは先にも書きましたが、アイヌ民族も縄文人も同じDNA、Y染色体ハプログループでD1a2aであることがわかっています。知られている身なりなども、日本書紀に書かれている蝦夷と似ているかもしれません。北海道の先住民族とされるアイヌ民族ですが、先住民族というよりは、もともと縄文人と同じルーツを持つ民族だったのではないかと私は想像します。大和朝廷側から迫害された先住民族であるとすれば、あながち間違ってはいません。
蝦夷最後の族長が阿弖流為(アテルイ)であるとされています。桓武天皇から、征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂に阿弖流為が降伏したのが、802年のことで、その後、蝦夷は滅亡したとされています。でも、大和朝廷側が蝦夷を迫害したという記録もないので、土着の人たちはそのまま東北に住み続けていたはずです。ただ、入れ墨の習慣がいつ頃なくなったのかはわかりません。坂上田村麻呂は胆沢城(いざわじょう、現在の水沢辺り)を築城したとされ、そこを中心にして、日高見国は、大和朝廷側から陸奥国(みちのく)と呼ばれて、統治されていきました。ただ、この辺り2百年くらいの記録がほとんど残されておらず、詳細はわかっていません。そんな中で、869年にマグニチュードM8の貞観地震が起きたと記録されています。当時の記録が少ない中で、陸奥国を統治していたのは、安倍一族であるとされています。その流れは、1051年に安倍頼良(後に頼時に改名)として歴史に名前が出てきます。その子、貞任、宗任に続きます。ただし、この辺の話はまた別途書きます。
興味深いのは、安倍一族の起源がいくつか謂われていることです。現在、安倍、もしくは阿部という姓を持つ人は、起源が同じかもしれません。謂われている一つの起源は、記紀(古事記や日本書紀)に書かれている、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)こと神武天皇の東征に遡ります。神倭伊波礼毘古命が、兄の五瀬命(イッセ)とともに、日向(いまの宮崎)から東征して、浪速(いまの大阪)から上陸した際に、奈良地方を支配していた那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)と戦って、兄の五瀬命は矢に当たり亡くなりました。日に向かって戦うのは良くないと、今度は八咫烏(ヤタガラス)の導きで、熊野から吉野、そして奈良に入り、那賀須泥毘古を倒して、梶原の地に神武天皇として即位したと書かれています。なお、極めて大雑把な説明ですので、興味のある方は、自ら調べてみてください。
その那賀須泥毘古(長髄彦)の兄が安日彦(あびひこ)で、戦いの後、津軽に逃れたという言い伝えがあります。あいにく、これは記紀には記されていません。その安日彦の安日が安倍になり、蝦夷に土着したとされるのが、安倍氏の起源であるとする一つの謂われです。あくまで想像の世界ですが、すでに奈良を支配していた豪族であり、縄文由来の人たち、いわゆる物部(もののべ)と言われている人たちと深く関係しているのかもしれません。蝦夷と同じ縄文系であれば、蝦夷でもすんなり受け入れられたのか否か、今となっては想像の域です。
そういえば、元首相も安倍でしたが、安倍頼良(頼時)、その子である貞任が前九年の役で源頼義に破れてから、同じく三男の子、安倍宗任(あべむねとう)は伊予に流され、貞任の子が津軽の十三湊(とさみなと)に逃れたとされる言い伝えがあります。いずれも、宗像水軍、安東水軍の祖とされています。縄文人が海路を使って交易をしていた辺りが、水軍の形成に深く関わっていたのではないかと勝手に想像しています。