俯瞰力について大航海時代を俯瞰日本人再考

大航海時代を俯瞰

 毎週土曜の朝にいま投稿している、「俯瞰力」シリーズですが、明日用事があるので、1日早く投稿します。

 高校の世界史(地理?)の教科書で、プランテーションというワードに聞き覚えがあるか方もおられるでしょう。西洋列国が、植民地にした国々で、お茶やコーヒー、バナナやサトウキビなどを大規模農場で栽培して自国に運び、その貿易で巨万の富を得ていました。お金を儲けたいのは昔も今も同じですから、それはいいとして、植民地にされた国々の先住民は、ろくな教育も受けられず、まさに奴隷として働かされていたことについては、教科書ではあまり触れられていません。「プランテーション」と呼べば聞こえはいいですが、「大規模奴隷農場」にしたら、まったく違ったものに聞こえます。植民地の始まりは、大航海時代のポルトガルとスペインに遡ります。ただし、それ以前にもシルクロードなどを通して、ヴェネチアの商人などが陸路で東西貿易をしていました。マルコ・ポーロは同時期のヴェネチア人ですが、モンゴル民族が支配した元の皇帝フビライ・ハンに17年間仕えた後に帰国して、「東方見聞録」を記して、その中で東に黄金の国ジパングがあると伝えたとされています。ただし、その真義は未だ定かではありません。クリストファー・コロンブスは大航海時代の先駆けに当たる冒険家として知られていますが、もともとヴェネチア人で、このジパングの話を聞いたか、紆余曲折の後にスペイン国王イザベル1世の支援を得て、海路でジパングを目指したとされています。大航海時代の幕開けです。

 7,8世紀頃から、中東から北アフリカ、そしてイベリア半島までの広大な地域をイスラム国であるウマイヤ朝が支配していました。現在スペインとポルトガルがあるイベリア半島はローマ帝国以来、キリスト教徒が住んでいましたが、そこが征服されました。イスラム圏ではすでにユダヤ教徒も共存していましたので、イベリア半島には、イスラム、キリスト、そしてユダヤ教徒が混在した時代があったことになります。しかしながら、キリスト教勢力との長年の戦いの中でイスラム王朝は徐々に敗退していき、一方ではキリスト教徒が徐々に権力を回復していき、1492年にグラナダ陥落により最後の王朝であるナスル朝は滅亡しました。このレコンキスタと呼ばれる国土回復運動によりイベリア半島はキリスト教徒により再征服されました。それに伴って、ユダヤ教徒も迫害されたため、北ヨーロッパやライン川流域に移動したとされています。ライン川流域に住み着いたユダヤ人はアシュケナージと呼ばれ、いま世界の金融を支配しているロスチャィルド家はライン側沿いにあるフランクフルトに住んでいたごく普通のアシュケナージでした。そのまさにキリスト教支配を回復した1492年にコロンブスは、イザベル1世の支援を得てジパングを見つけるため西回りで航海します。当時すでに地球は丸いということは常識になっていました。しかしながら、たどり着いたのは現在のカリブ海に浮かぶ島々でした。歴史の教科書ではこれをもってアメリカ新大陸を発見した偉大な冒険家とされています。

 コロンブス一行は、先住民族(インディアン)の歓迎を受けます。食料や水のみならず、金銀など貴重品をもらい、そのお返しに安価なガラス玉などあげました。その後、いったん帰国しますが、今度は大規模なスペイン軍とともに再上陸して、先住民族を大虐殺しました。黄金を強奪して、生き残った者を奴隷として本国に送りました。フランシスコ・ピサロも同じようなことをアステカとインカで実行しています。ローマ教皇アレクサンデル6世は、大西洋にあるアゾレス諸島の西側に分界線を定めて、それより西の独占的支配をスペインに認めました。さらには異教徒を奴隷にすることも認めました。一方、東側の独占権をポルトガルに認めています。1543年にポルトガル人が種子島に漂着して二丁の鉄炮が伝来して、1549年に同じくポルトガル人のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸しましたが、日本はその東側に入っていたことになり、ローマ教皇の勅令に忠実に従っていたわけです。鉄炮が「漂着」したといわれていますが、それはウソでしょう。これはたぶん日本に対する威嚇です。事実、アステカの時のように再度上陸して日本を支配しようと企んでいたようですが、これまでと決定的に違ったのは、日本人はすでに鉄炮の複製を完成させていました。

 フランシスコ・ザビエルはイエズス会の創設者の1人です。イエズス会はローマ教皇の勅令に忠誠を誓うことを理念としたカトリックの男子修道会です。そうしますと、キリスト教を伝播するために来日したのはいいとして、異教徒は奴隷にしてもよいとする勅令にも忠実に従っていたことになります。キリスト教に改宗した九州の一部の大名は、領土内の民衆にも改宗を強要して、それに従わない者はポルトガルかスペインの宣教師に引き渡し(売り飛ばし?)て、本国のみならず、中国大陸や朝鮮半島にも奴隷として連れ去っていたようです。それを知った豊臣秀吉がキリシタン禁教令を出してキリシタンを追放しました。従わないものは処刑されました。どっちが悪いことをしていたのでしょうか? その後、西洋列国の勢力図も変遷します。1580年スペインのフェリペ2世はポルトガルを併合して、ポルトガルが統治していた東の植民地がスペイン領に置き換わりました。たとえば、いまのフィリピンの国名はもともとフェリペの名前に由来します。日本も同じく支配しようとしましたが、結果的に失敗しました。そのスペインも1588年、無敵艦隊と呼ばれていたスペイン海軍が、英仏海峡でイングランド海軍と戦ったアルマダの海戦で大敗しました。これを境に急速に勢力が衰えて、その代わりに、マルティン・ルターの宗教革命に起因するキリスト教(プロテスタント)を信仰するオランダとイングランドが台頭して、東の支配も変わっていきます。日本は江戸時代、長崎の平戸を通してオランダと通商しています。さらにそれに遅れてやってきたのがアメリカであり、ペリーの来航です。ペリーはロスチャイルド家と繋がりがあるといわれています。

 大航海時代に西洋列国は日本に何しに来たのか、だいたいおわかりでしょう。カトリック教徒が来て、プロテスタントが来て、ユダヤ人が来た? 純粋に布教のために来ただけではないことくらいはすぐわかるでしょう。残念ながら、日本の歴史教科書ではそんな肝心なことが教えられていません。