人生について処世術について

大海に漕ぎ出る勇気

 私はほとんど泳げませんし、船も漕いだことは1回?程度しかありませんので、本当に大海に船で漕ぎ出るわけではありません。昔、このようなタイトルの本を自費出版していた先生を思い出したので、ちょっと拝借しました。その大昔、縄文人は丸太舟で日本海を三内丸山から糸魚川出雲などに航海しながら、交易を行っていたことは既に書きました。それだけではなく、都市伝説界隈では、沖縄ミクロネシアポリネシア、そしてペルシャ湾まで航海していたかもしれないと謂われています。まさに、大海に漕ぎ出る勇気がなければ、丸太舟程度の船でそんな遠くに行く覚悟はできません。でも、そのような勇気があったからこそ、縄文文明は長らく続いたのでしょう。ただし、今回はそのような話ではありません。

 人生、何か新しいことを始める時は、それなりの勇気が必要になります。人生の岐路に差し掛かったとき、どちらに進むべきか考えます。その内の一つを決めるにも、それなりの勇気は必要になります。決めた道に進んだが、間違いだと気が付くこともあります。第三者からすれば、それが本当に間違いかどうかは見方が異なるかもしれませんが、とにかく本人が間違いだと思えば、また別の道を模索します。その時、また新たな勇気が必要になります。結局、そのようなことを繰り返して、人は生きていきます。これは先に書いた、人生の陰陽に当たります。ただ、はたしてそれが本当に勇気に当たるかどうかは、何とも言えないところもあります。結局、単に思慮、いわゆる俯瞰力が、足りなかっただけだったりします。後悔先に立たずだったりして。

 いまある人生に甘んじている人、いまの人生に満足していない人、人それぞれかと思います。前者は変化を好まないでしょうから、多少の不満があっても今の人生を続けるのでしょう。後者は自分はこんなもんじゃない、もっと何かできるはずだと思っているのか、それとも単に向上心が強いのか、処世を常に考えている人かもしれません。向上心は、いわゆる承認欲から来ています。これは本能です。誰でも本来持っているものです。いわば、それに素直に従っている人でしょう。前者の人にもそれがあるはずですが、それを隠しているのか、諦めているのか、理性で押さえ込んでいるのかもしれません。でも、今を捨ててゼロから再出発しようなどとは、たぶんほとんどの人が考えないでしょう。

 大海に漕ぎ出る勇気は、その必要性に迫られた結果、必然的に出てくるのかもしれません。いろんなことで、人生に挫折することがあるでしょう。そんなときに、そのまま折れてしまうのか、勇気を出して、新たな人生に歩み出すのか。その先、何があるかはわかりません。挫折でなくても、就職したとき、結婚したとき、そして退職したとき、新たな人生を歩み出します。私も、これまでの人生に不満などありません。むしろ、よくやったと思っています。でも、それに甘んじることはせず、大海に漕ぎ出る勇気を少しだけ持って、これからも前を向いて、新たな第二の人生を歩んでいきたいと思います。