地政学
何処かの国の誰かが言ったことに対して、どこかの国の誰かが、脅しともとれる投稿をSNSにしてから、現在カオスの状態になっている、といえば、何のことかはわかるかとは思いますが、具体的には個々の事例についてコメントはしないことにします。このようなことが起こる背景は、地政学でよく語られます。私もある程度、本などで読んだことがありますから、それに基づき、自分の考えを書いてみます。どこかの国を批判するというものではなく、むしろどこかの国の立場で物事を考えると自分たちが考えているのとは違った視点で見ることができる。それが地政学かもしれません。日本人はついつい日本人の視点ですべての物事を見てしまう傾向があります。そうすると、どうしても性善説に基づいて考えてしまいます。私も個人的には日本人が本能的に有しているすばらしい、いわば能力だと思いますが、「そんな悪いことやめてほしい」、とだけついつい思ってしまいます。
日本は島国です。小日本と揶揄する国もありますが、メルカトル図法だとそう見えます。メルカトルはベルギー人で自国を大きく見せるためか、北極・南極に近いほど大きく誇張されて示されます。したがって、仮に日本をベルギーと同じ位置に移動させたら、3倍くらいの広さになります。それはさておき、島国であったがゆえに、日本は他国からの侵略を受けずに今日まで独立を保っている単一民族の国家です。ただし、アメリカとの戦争に負けて、現在は事実上、米軍が駐留して間接的に支配されているのも事実です。周りを海で囲まれているのは地政学上、たいへん有利です。海を渡って攻めてくる侵略者は、人員・物資を空路・海路で補給しなければなりませんから、前もって相当な準備をしなければ、攻めることなど、現実的には不可能です。今の時代、宇宙から地上は丸見えですから、そのような動きをすればすぐわかってしまいます。
そんな日本に対して、どこかの国から、邪魔すれば火の海になる、とか言われても、海を渡ってからの攻撃は効率が悪いでしょうから、火の海にする方法としては、大量のミサイル、あわよくば、核ミサイルでも使用するしかないでしょう。特に、核ミサイルはたいへんデリケートな問題がありますが、突き詰めれば核抑止力の解釈に行きつきます。核が使われないようにこちらも核を持つ考え方です。さて、そもそも核を持たない島国を侵略しようとしている国があったとして、核ミサイルを実際に使用できるものでしょうか? 万一使用すれば、その国は放射能汚染で上陸できなくなり、支配もできません。したがって、核抑止力とはあくまで自国防衛のために行使される力です。攻めてきた敵やその陣地(国)を破壊するのが目的になります。本当に侵略したいと思えば、むしろ「サイレントインベージョン」が現実的でしょう。
大陸にある国は、常に他国や異民族からの侵略に長年さらされてきました。その歴史から、攻められる前に攻め落とすことが、生き残る唯一の方法だと歴史から学んでいるのでしょう。特に、多くの異民族を抱える大国では、支配者は異民族を徹底的に監視しなければなりません。そうしないと、いつ蜂起でもされて他国と協力して攻められるかもわかりません。したがって、支配者は必然的に、王様とか、専制君主とか、強大な権力を持ったいわゆる独裁者になります。大国の独裁者の立場から見れば、日本は異民族国家の一つに過ぎません。力の均衡した大国同士であれば、お互い支配を争おうとは思わないでしょうが、小国と見られれば、他の異民族に対してと同様に攻め取ろうと思うのは当然です。幸い日本は島国です。島国を武力で攻め落とすのは陸国に比べて比較にならないほどの戦力、人員、そして資金が必要でしょう。島国は周りを囲んだ海が最大の防御壁になります。
一方で、日本のような資源のない国は、海上航路を封鎖されるのが最大の弱点です。過去において、資源確保のため、東南アジアに侵略?したことも事実です。でも、当時それをしていたのは日本だけではありません。西欧列国は東南アジアを軒並み、植民地にしていました。エネルギー資源の確保のため、シーレーンを守ることは日本にとって死活問題です。マラッカ海峡、バシー海峡がそれに当たります。そこが日本の生命線であることくらいは他国にもすぐわかります。したがって、そこだけに頼らない多方面の対策が日本にとっては最大の課題であることは、私がいうまでもなく、その関係者なら当然そのように思い、そのように行動しているはずです。それが、今回のカオスの背景にはあります。資源や貿易を少数の国だけに頼らない多方面外交、そして日本に頼らざるを得ないような戦略的技術の確保や開発が、日本のとるべき政策であることも、関係している人たちはわかっているものと、私は思います。それ以上に現在進行形のサイレントインベージョンへの対抗は喫緊の課題です。
以上、私なりに地政学の視点で考察してみました。他国の視点や他人の視点で物事を考察してみると、全体を俯瞰することができるかもしれません。
